「カヤッ……蒼月……」

今までそんな風に抱き締められた事なんて一度もなかった。
それほど力強く、そして弱々しい腕。


「っもう二度と、会えないかと……」

カヤは思わず、己の肩に顔を埋めている翠を見やった。

言葉に詰まるような物言いをした翠に驚いたのだ。


「……翠……」

息を呑む。
僅かに見える彼の頬に、雫が伝っているのが見えた。


初めてだった。

翠が涙を流した事なんて、一度も見たことがなかったし、想像すらしたことがなかった。

翠は強いのだ。
滅多な事で揺らいだり、ましてや泣いたりなんてしないのだ。


――――そんな彼が、今こうして、涙している。

嗚呼、一体どれほどの心配を掛けてしまったのか。


それが痛い程に分かってしまって、喉の奥が、つぅんと痛くなった。



「ご、めん……ごめん、翠……」

その頬にそっと触れて、引き寄せる。

翠は静かに顔を上げた。
涙の筋は、夕日を反射して切ないほど綺麗に光っている。

それに眼を奪われていると、翠は一瞬後には乱暴に涙を袖で拭った。

それでも瞳を縁どる睫毛があんまりにも濡れているものだから、カヤは罪悪感で胸が押し潰されそうになってしまった。


「心配かけてごめん……」

消え入りそうな声で謝れば、翠は眼尻を柔和に下げて、カヤの髪を梳く様に撫でた。

「本当に、何年経っても心配かけさせてくれるよな。カヤは」

そうやって気の抜けたように笑う翠に「ごめんね」と苦笑いを返す。

「良いよ」と、翠は言った。

「生きて帰ってきてくれれば、それで良い」

後頭部に回った手に引き寄せられ、口付けを交わす。

そこから流れ込んできた体温に、生きている、と、そう実感させられた。

触れては離れ、また触れる。
翠は、それを何度も繰り返した。

まるで互いの存在を確かめるように。
此処にある生を確かめるように。



「よかったねえ」

そんな声が真下から聞こえ、カヤも翠も唇を解き、視線を下ろした。

「なかなおり、よかったねえ」

カヤと翠に抱かれている蒼月は、二人の身体の間でニコニコと笑いながらそう言った。

二人は一瞬顔を見合わせると、堪えきれずに吹き出した。

「蒼月には何でもお見通しだな」

わしゃわしゃと頭を撫でられた蒼月は、意味が分かっているのかいないのか「うん!」と威勢よく頷く。


「蒼月のお陰だね。ありがとう、蒼月」

丸っこい額に口付けを落とし、蒼月を抱き締めた。

離れている最中ずっと望んでいた通り、いじらしくて堪らない我が子の身体を、あらんかぎりの愛情を込めて。

そして、そんなカヤの身体を翠が抱き締める。



嗚呼、この場所だ、と思った。
全ての不安から解放されるこの世で唯一の場所。

その幸せな場所を、カヤはゆっくりと全身で確かめ、そしてようやく穏やかな呼吸を吐いたのだった。