「諦めて、我々にご同行下さい」

一歩一歩近づいてくる兵に、思わず後ずさる。


(嫌だっ……)

此処で捕まってしまえば、終わりだ。
翠にも蒼月にも、二度と会えないかもしれない。


トンっ、と背中が何か固い物体にぶち当たった。

慌てて振り返れば、そこには見上げるような崖が。
もうそれ以上、後ろには下がれなかった。


「っ、こないで……」

後ろには避けようの無い岩肌。

目の前には剣を構えた兵。その更に後ろには矢を向けている兵も居る。

絶体絶命とも言える状況だった。
どう足掻いても、この場から逃げられるはずが無い。


「さあ、クンリク様」

成す術も無く立ち尽くすカヤに、兵が手を伸ばした時だった。

その声が、頭上から聞こえてきたのは。


「カヤッ―――――!」


有り得ない方向から降ってきた声に、カヤも兵も思わず真上を見上げた。


―――――空から人が落ちて来る。



ガサガサッ!と言う葉っぱの擦れる音の後、バキバキッ!と枝の折れる音。

次の瞬間、ふわり、と目の前に白い影が舞い降りた。


(あ、羽みたい)

いつか感じた感想と全く同じものを抱く。

カヤと兵の間に降り立ったその人物は、カヤを背中に匿うように立ち塞がると、凛と声を上げた。


「この娘に近づくな!」


透明に澄み渡った、芯のある声。


「り、……」

その声だけで分かった。背中の形だけで分かった。
その人が、振り向く必要すら無かった。

「律っ……!?」


瞬間、散らばっていた記憶が一気に繋がった。

そうか。ようやく分かった。
崖の上に立っていたのは、翠では無い。律だったのだ。


「カヤ、下がってろ!」

律は着地と同時に懐から取り出していた苦無を手に、先ほどまでカヤと戦っていた兵に向かって行く。

知っては居たが、相変わらず律は強かった。

息を付く暇も無く次々と攻撃を仕掛け、やがて相手が動きに付いていけなくなった所に、強烈な蹴りを喰らわせ、ガクリと膝を付かせた。

そこまで、ほんの数秒の出来事だった。


律はすぐさま、未だに二対一で戦っている弥依彦の元へ走って行くと、助太刀に加わった。

「よくやった、デブ!」

必死の形相で戦っていた弥依彦が、眼を丸くする。

「お、おまえ、あの時のっ……」

「黙って集中しろ!」

律が敵の斬撃を受けながら叫んだ時だった。


キラリ――――何かが太陽の光を反射して、目を刺した。

ハッとする。
森の中に身を顰めるようにして隠れている兵が、弓矢を引き絞っているのが見えた。

その矢じりは、真っすぐに律を向いていた。



「っ律!避けて!」

カヤが叫ぶと同時、弓矢から勢い良く矢が放たれる。


風を切るように真っ直ぐな水平線を描いた矢は、ザシュッ――――と痛々しい音と共に、律の肩口を掠めた。