澄み切った風が、身体をすり抜けていく。

見渡すとそこは、だだっ広い花畑だった。

白い花が見事に咲き乱れ、透明の風に花弁をそよがせている。

かつて訪れた事のある場所だった。


カヤは終わりも始まりも無いその空間にポツンと立ち、何か"大切なもの"を抱き締めている。

腕の中を見下ろせば、蒼く光る丸い月がすっぽりと収まっていた。

とくん、とくん、と小さく確かな鼓動を感じ、それが生きている事を知る。

大切だった。
カヤは、それが大切で仕方がなかった。


失うのが怖くて、頼りの無い月をぎゅっと抱き締める。
何者にも奪われたくなかった。


ふ、と現れた白い指が、カヤの大切な月に触れた。
ぞっとするほど綺麗な指。翠の指だった。

いつの間にか目の前には翠が立っていて、流れるような手つきでカヤの腕の中から月を抱き上げた。


「嫌だよ、やめて」

そう言うけれど、翠はカヤの言葉を聞くことも無く、その月を空に掲げた。

ふわり、と浮き上がった月はゆっくりと空へと昇っていく。


「やめてったら!」

慌てて止めようとした時、翠の腕に強く抑えられ、伸ばした手は空しく宙を掻いた。

その間にも月はぐんぐんと上昇していき、カヤの手の届かない場所へと遠ざかっていく。


「どうしてこんな事するの!」

翠の肩を掴んで、怒りに任せて揺さぶる。
月を見上げていた彼は、ゆっくりとカヤを見やった。


「月は天に在るものだろう?」


そう言って再び天を仰いだ翠に倣って、カヤも頭上を見上げる。


蒼い月は、そこで静かに光を落としていた。

幾千もの星を、咲き誇る花を、流れる風を、そしてカヤを。

この世界の何もかもを、まるで運命のように見守りながら。


―――――ねえ。その場所に、在りたいの?















「……う」

ズキズキと身体中から訴えかけてくる鈍痛で、目が覚めた。

ゆっくりと瞼を押し上げれば、頭上で生い茂っている木々の隙間から満月が見えた。


(嫌だよ、戻って来て)

どうしてそんな所に居るのか。

早くこの腕の中に降りてきて、そして無邪気に笑ってほしいのに。



「ああ、やっと起きたのか」

不意に隣から聞こえてきた声に、カヤは月から眼を逸らした。

未だに少しぼやけている視界の中、カヤが起きた事に気が付いたらしいその誰かが、顔を覗き込んでくる。


「……弥依彦……?」

思わぬその人物に一瞬戸惑い、それからようやく自分が覚えている最後の記憶が急速に蘇ってきた。