【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

「翠っ、翠……」

何度も何度も、舌の根に錆び付いてしまうほど名を呼んだ。

(取れなくなってしまえば良い)

もうそれしか要らなかった。
永遠に誰かしか呼べないのなら、この美しい人の名だけで良かった。


そうやって散々に翠を体に刻み込んだ後、カヤは翠の腕の中で顔を上げた。

「ど、どうして、翠は此処に……?」

鼻をすすりながら問えば、まだしっかりとカヤの身体を抱き込んだままの翠が、律に顔を向ける。

「この女を通じてミナトから伝令を貰った。今夜カヤを逃がすから助太刀してほしいって」

「そうだったの……」

ようやく気持ちが落ち着いてきたものの、砦から逃げおおせた事も、翠に会えた事も、なんだか全然信じられない。

ふわふわとした夢見心地で居ると、翠がカヤの腹にそっと手を当てた。

「本当に……子供が居るんだな?」

窺うように覗き込まれ、おずおずと頷く。

「うん……ごめん……でも、翠の迷惑にならないようにするからっ……だからお願い、産ませて欲しい……」

翠の立場からすれば、異質な髪の子供が重荷になってしまう事は重々承知している。

自分の子供だと認めて貰えないかもしれないが、それでもどうしても産みたかった。

例え翠と離れる事になってしまったとしても、大好きな翠の子供に会いたい。

けれど勿論、本音を言えば翠に父親になって欲しいに決まっている。

色々な思いがぐちゃぐちゃに混ざり合い、言っている内にまた瞳が潤んできてしまった。

そんなカヤを、翠がまた抱き寄せる。

「産ませても何も……カヤが戻って来るだけじゃなくて、子供も一緒なんて、どれだけ幸せだと思ってるんだよ」

参ったように笑った翠の温かな掌が、腹を撫でる。
まだ見ぬ我が子を、美しい指先で心底愛でるように。


「俺たちの子だ。大切に育てよう」


――――――ああ、駄目だ。こんなの嬉しすぎて。

今度こそカヤは顔を覆って嗚咽してしまった。



(ごめん、不安な思いをさせて、本当にごめんね)

腹の子に必死に謝った。

ずっとずっと地に足が付いていなかったこの子が、今ようやく存在を認められた気がした。


「信じてっ、くれたんだね……」

涙を止められないまま、どうにかこうにか言う。

「信じるまでも無かったよ。カヤの嘘は分かりやすいからな」

翠は苦笑いをしながら、カヤの眉を親指で撫でた。
嘘を付くと、どうしても下がってしまうカヤの癖。

腹の子はカヤとミズノエと子だ、とそう言った時、翠はそれが虚言だと分かってくれていたのだ。

「っ、ありがとう……」

やっぱり言葉など必要なかった。

この溢れんばかりの感謝も、愛おしい気持ちも、きっと全部全部翠には伝わっている。