さあ、と透明な夜風が頬を撫でる。
辺り一面には、真っ白な花が咲き誇っていた。
雪中花だ。それもこんなにたくさん。
澱みの無い花弁は、頭上から降り注ぐ月光に照らされ、青白く発光している。
遮るものなんて何も無かった。
果てなく続く地平線の向こう側の、そのまた更に向うまで、何処までも、何処までも。
「……翠?」
目の前には、雪中花の束を抱いた翠が立っていた。
薄っすらと笑う口元も、優しく下がる目元も、雪中花の白に照らされて、恐ろしいほど美麗に闇の中で浮かび上がっている。
彼は、不自然なほど柔和にカヤを見つめていた。
ああ、会いたかった。
どうして今まで夢の中にすら来てくれなかったの?
とても悲しくなって、カヤは翠に手を伸ばした。
「翠っ……」
突如、ざわざわっ、と背後で木立が揺れる音がした。
まるで、翠の胸に飛び込もうとしたカヤに警告を送るように。
「あ……」
がくん、と足が止まる。
カヤをその場に縫い付けるようにして、両足に何かが巻き付いていた。
―――――木の根だ。
振り返れば、ほんの真後ろに立派な大木が立っていた。
身体中に巻き付く木の根によって、カヤは太くて固い幹に、しっかりと押さえ付けられていた。
どうして気が付かなかったんだろう、と思った。
こんなに長い年月を掛けて、この身体に、この心臓に、根を這っていたのに。
「翠、翠……」
必死に呼ぶけれど、目の前の美しい人は、ゆったりと瞬きを繰り返すだけ。
声を発する事もしなければ、カヤに手を伸ばしてくれることも無い。
どうしても届かないそのもどかしさに、慟哭が漏れた。
「っ翠……お願い、翠……」
ぽろぽろと涙を零せば、カヤを抑えつけていた大木が枝を伸ばしてきた。
枝に成るその青々とした葉で、そっとカヤの涙を拭う。
けれど、翠の指先のような滑らかさは無い。
少しザラリとしたその感覚に、カヤの涙は勢いを増した。
「翠じゃなきゃ嫌だよぉ……」
そう声を絞り出すと、翠が寂しそうに笑った。
後ろの大木も、ざわざわと哀しそうに葉を揺らす。
こんなに近くに翠が居るのに、立派な大樹があるのに、空っぽな、なんにも無い世界に存在してるみたいだった。
カヤは独りだった。
「……うっ、あ……」
押さえきれない嗚咽に崩れ落ちそうになれば、
「――――1人じゃないよ」
ふとそんな声が聞こえた。
聞き覚えの無い声だ。
けれど、身体中に染み渡るような優しい声。
見上げれば、頭上の月が無邪気にカヤに微笑みかけていた。
降り注ぐ蒼い光は、カヤの心臓と呼応するように、とっくん、とっくん、と波打っている。