「い、行く!」

その素晴らしい提案に、カヤの不安はどこかへ飛んでいった。
早速布で頭を隠し、2人は家を出た。

春の朝の、つめたげな空気がひやりとしていて気持ちが良い。
カヤとナツナは連れ立って、屋敷への道を歩んだ。

村外れの森へは向かった事があるものの、村の中心にある屋敷の方へ向かうのは初めてだった。

今日も翠様のお屋敷は、その壮大さで村に威厳を示している。


「ナツナ、今日お勤めは大丈夫なの?」

てくてくと歩きながら、カヤは尋ねた。

「はい。今日は夜の番なので、夕方からなのですよ」

「大変だねえ……」

「ふふ、大変ですが楽しいですよ」

なんて事の無い世間話だが、カヤにはそれが新鮮だった。

何気ない会話こそが、楽しい。
ちょっぴり心を弾ませながら歩いていると、屋敷はもう目と鼻の先にあった。

近くに来て分かったが、どうやら屋敷の周りはぐるりと塀と堀で囲まれているようだった。

一部その屈強そうな塀が途切れて、立派な門が立っている。
両側には背筋を真っすぐ伸ばした兵が直立不動していた。

塀の中には、あの巨大な建物とは別に、たくさんの建物が点在しているのが見えた。

屋敷と比べてしまうとかなり小さく見えるが、どれも普通の家ほどの大きさだ。

「あれは、ほとんどが屋敷で働く方達のお家なのですよ。村に住む家が無い方は、ああやって屋敷の敷地内に住み込んでいるのです」

カヤの興味深げな視線に気が付いたのか、ナツナがそう説明してくれた。

「屋敷って広いんだね」

「はいー。この村の5分の1くらいはあるのですよ」

このとてつもなく広い村の5分の1が、屋敷の敷地。
その広大さは、正に翠様の権力の大きさを表しているようにも思えた。

「ところで、この中に入るの……?無理じゃない?」

カヤは改めて、屋敷の敷地内に入るための門を見る。
そこに立ちはだかる2人の兵の姿は、村の外れの門に居たやる気の無い兵とは大違いだ。

「大丈夫ですよ、馬さん達の小屋は敷地の外なのです。人が多いところはあまり良くないので、離れた所にあるそうですよー」

カヤの心配をよそに、ナツナは塀に沿って門から遠ざかるように歩いた。

しばし歩くと人も建物も減ってきて、やがて木々が生い茂る静かな地帯となった。

「あ。あれ?」

そしてカヤが見つけたのは、ぽつんと建つ馬小屋だった。

「はい、あれですよー」

その建物に近づくにつれて、馬がガッガッと土を蹴る音、ヒヒンと言う小さないななきが聞こえてくる。

それと同時に、

「よーしよし、たくさん食えよー、リン。……あ、こら引っ張るなって。全く仕方ねえ奴だなー」

というデレッデレとした人間の声も。


どこかで聞いた事のあるような声だった。
なんとなく嫌な予感がするカヤをよそに、ナツナが馬小屋を覗いて声をかけた。

「こんにちはですー」

ナツナに続いてカヤも馬小屋をヒョコリと覗く。