「……うで」

「ん?」

擦れた声で呟けば、翠が優しく首を傾げる。

翠に向かってねだるように両腕を広げれば、察してくれたらしい彼は、すぐに願いを叶えてくれた。

背中と後頭部を支えられながら、ゆっくりと身体を抱き起こされる。

繋がりを解かないまま翠の膝の上に座ると、身体の下に敷いてあった彼の衣を、ふわりと肩に掛けてくれた。

そうしてその衣ごと抱き締められる。
望み通り、これっぽっちの隙間も無く。


――――小さな世界だ、と思った。

優しい翠に守られた、あたたかく、幸福で、完璧な小さな世界。

(永遠にこの場所に居れれば良いのに)

そう願うけれど、夜が明けてしまえば解け堕ちてしまうほど呆気ない。

その後はまた、果てなく歩き出すしかない、から。


「……こうしてると、わたしたち二人だけみたいだね」

叶えたい嘘を吐いて抵抗する。

「"みたい"じゃなくて、二人だけだよ」

そうやって嘘に付き合ってくれる翠を瞼に焼き付けては、「そうだよね」と泣く。

翠の言う通りだった。
この夜だけは二人きりだった。

星も、草木も、空気も、この世に息づくすべての人間すらも。

それらが歩む時の流れから少しだけ外れて、互いの心音だけに耳を澄ませる。

永遠に飽くことの無い、脆く優しい、二人だけの。



「っあ」

鋭い律動に仰け反った身体を、翠が繋ぎ止めた。

断続的に与えられる憂き目に唇を噛めば、翠が同じものを重ねてこじ開ける。

感覚も意識も翠でいっぱいになって、今にも溢れてしまいそうだった。


(ねえ、崩れるのはいつかな)

胸が軋む恐怖に涙する。
それを迎えるくらいなら、ここで途絶えてしまえれば良いのに。

込み上げてきた激情に任せ、その首に腕を回して泣きじゃくった。

抑制する、と言う何ら当たり前の事すらも手放してしまうほどに耽溺しきっていた。



いつの間にか、再び地面に横たえられていた。

余裕の無い動きに翻弄されて、湧き上がる甘い疼きに、脊髄の芯が痙攣する。

抱き合いすぎたせいで、互いの皮膚の境界線すらあやふやになっていた。だと言うのに、それでも懲りずに何度も抱き合う。

しなる背中を掻き抱く腕も、鼓膜に触れる乱れた声も、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

押し付けられる翠の重みすらも歓喜に成り代わっていく。


「っ、カヤ……」

綺麗な眉根が切なく歪んでいた。

吐息交じりに吐かれた己の名前に、どうしようもないほど、ぞくぞくする。

まるで凶器だった。形の無い凶器。

それに抉られて、傷付けられて、溢れた赤が二つの純潔を染め上げ、犯していく。

決して穢し合っているのではない、と思えた。
互いが互いを、互いの色で彩るだけの、幸せな睦言。


込み上げる愁いに任せて、声が枯れるほど愛を紡ぐ。

呼吸の味を嚥下して、この人を、この人だけを、身体中に染み渡らせる。


迷いは二度と無かった。

(だって、ようやく分かった)

探し求めていた答えは、ここにあったのだと。



絶望的な幸福感に呑まれ、形が無くなるまで喰われていく。

優しくたおやかな白が手を招いていて、そうして引き摺られるように意識は堕ちて行った。