「あれ。思ったより早かったね」

カヤは驚きの声を漏らした。

翠と一旦別れた少し後、二人は屋敷の敷地外にある馬小屋の前で落ち合った。

頭から布をすっぽりと被った翠の顔には、戸惑いや迷いが浮かんでいる。

「まあ……急げとのお達しだったからな」

「ごめんごめん。早く出発してしたかったの。さ、中に入って」

カヤは翠を馬小屋の中に招き入れると、一番奥の柵に入っていた黒い毛並みの馬を連れ出す準備を始めた。

「その馬は?」

「うん、この子に着いて来てもらおうと思って。今はこの子が一番足が速いんだ。あ、悪いんだけど私と一緒に乗って貰っても良い?翠に手綱握ってもらう事になるんだけど」

「ああ、うん。それは全然構わないけど……」

「ありがと」と言いながらテキパキと鞍を乗せ終え、カヤは手綱を引いた。

すると、その隣の柵に入っていたリンが小さく嘶いた。

頭の良い子だから、普段と何か違う空気を感じ取ったのかもしれない。

「ごめんね。リンは連れて行けないの……ごめんね」

ミナト曰く、以前は馬達の中では、リンが一番足が速かったそうだ。

けれど崖から落ちて以来、もう全力では走れなくなってしまった。

すまない気持ちで、その首筋を何度も撫でる。
心なしか、丸い瞳が寂しそうにカヤを見つめていた。

「ごめんね」と最後にもう一度謝り、カヤはリンから手を放して、翠を振り向いた。

「……それじゃ行こっか」

「あ、ああ……」

黒い馬を引きながら小屋を出た時、翠が気遣わし気に言った。

「……なあ、友達には挨拶しなくて良いのか……?ナツナとか、ユタとか……」

「今から逃げるのに、どう挨拶するの?」

苦笑い交じりに答えながら、カヤは一足先に馬に乗った。

「良いの、ほら早く乗って。陽が沈むまでに国境の山まで行きたいんだ」

そう言うと、翠が眼を丸くした。

「国境?今から走って着くか?」

「休まずに全力で走れば着くと思う。勿論馬の様子を見ながらにはなるけど……あんまり休憩無くても大丈夫そう?」

「俺は大丈夫けど……」

煮え切らない返事のまま、翠はカヤの後ろに跨る。
翠の両手がカヤの身体を囲うようにして手綱を握った。

数日前に見た、翠と伊万里が同じ馬に乗っていた光景が思い出される。

あの時、伊万里を羨ましいと思ったけれど、まさかこんな形で翠と同じ馬に乗れるとは予想もしていなかった。

(出来れば、普通のなんでもない時に乗りたかったな)

嬉しいような切ないような複雑な気持ちのまま、カヤは翠を振り返った。

「よし。じゃあ、行こう」

その言葉を合図に、翠は馬を走らせた。