【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

泣きすぎて酷い顔に決まっているだろうが、それでも自分でちゃんと分かっていた。

「私は私の幸せよりも、翠の幸せの方がずっと大事だ」

大好きな翠を思った、幸せに満ちた笑顔を浮かべているのだと。



(だからどうか笑って)

せめて貴方が笑ってさえくれれば救われる。




「カ、ヤ……」

呆然と呟き、翠はゆるゆると頭を垂れた。

「っくそ!」

翠がドンッ、と己の膝を強く叩いた。

込み上げる何かを抑え込む様に衣に爪を立てて、そして苦しそうに顔中を歪ませる。

「……わか、らない……分からないっ!カヤにそんな思いをさせてまで守らなきゃいけないものって何なんだ!?」

自棄になったように喚いた翠は、震える両手で顔を覆ってしまった。

「翠……」

心配になってその肩にそっと触れると、翠がくぐもった笑いを零した。

「……もう、さすがに疲れたな……」

自嘲気味に呟き掌を退けた翠は、カヤと視線を合わせようとしなかった。

ただ、カヤの両手を力無く握りしめて

「……なあカヤ、このまま逃げ出そうか」

諦めに似た科白を吐く。


伏せられた睫毛の先にあった瞳は、何も見えていないようだった。

己の意志も、これからの事も、そしてほんの目の前に居るカヤの事すらも。

「全部捨てて旅に出て、大陸に行って、誰も俺たちを知らない所でずっと二人で生きるか……そうすればきっと何もかもが幸せだ」

それをしたところで、完璧に満ち足りた幸福に辿り着けるわけが無い、と。

そんな簡単な事を翠が分かっていないはずが無かった。

それなのに翠は、それを口走る。

哀しかった。
それほどまでに翠の心は疲弊し、彼の強さは損なわれていた。




翠は、いつだって揺らぐ事なく手を差し伸べ続けてきてくれた。

大切で愛おしい、命の恩人とも言える人。


(ねえ、翠)

――――私は貴方のために、何が出来る?




「……翠がそのつもりなら良いよ」

カヤは、ゆっくりと、しかしはっきりと言った。

「……え?」

自分で言ったくせに予想外だったのか、翠が驚きの声を漏らした。

「翠がそのつもりなら良いよ、って言ったの。うん、て言うかそうしよう。そうだ、出て行こう」

一人で勝手納得しながら勢い良く立ち上がる。

一方翠は、完全に気持ちが置いてけぼりになっているような顔だ。

「翠、出来るだけ早く準備して馬小屋の前で落ち合おうか。私は一度家に帰って必要そうなもの持ってくるよ」

翠は口をぽかんと開けたまま、戸惑ったように言葉を落とす。

「……えっと、今日か?」

「今日だよ」

「今すぐにか?」

「ええ、勿論」

間を空けずに質問に答えたが、翠はぱちくりと瞬きを繰り返すばかり。

「もう良いから。ほら、早く早く」

そう急かすと、翠は訳も分からないままに、ひとまず立ち上がった。

しかしその頃にはすでに、カヤは部屋の入口へと向かっていた。

「あ、どうせもう逃げるんだから、わざわざコウの恰好しなくても良いからね!布だけ被って来て!じゃあまた後で!急いでね!」

呆然と立ち尽くす翠に手を振り、カヤはわき目も振らず部屋を飛び出したのだった。