【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

部屋に戻ったカヤは、翠を座らせると向かい合うようにして腰を下ろした。

もう言うべき事は分かっていた。


「翠、伊万里さんと子を成して」

翠は俯いていたけれど、その眉が酷く歪んだのは見えた。

翠は何も言わなかった。
まるでカヤがこう言うだろうと予想していたようだった。



「……ごめんね。今まで言えなくてごめん。私、逃げてた」

タケルに『次の神官を産むのはカヤでは無い』と釘を刺されたあの日から、ずっと。

翠に心配を掛けたくなくて、下手くそに笑い続けるしかなかった。

「ごめんね、翠……」

酷く己を恥じていた。

カヤが自分の事でいっぱいいっぱいの最中、翠もタケルもじわじわと追い詰められていたのだ。

言えば良かった。言うべきだった。
たった一言を、もっと早く。

"私以外の人と結ばれて"

けれど口が裂けても言えなかった。臆病だった。どうしようもなく。



膝の上で握った拳の上に、ぱた、ぱた、と雫が落ちる。

あれだけ流したのに。
後どれだけ泣けば涸れてくれるんだろう。

あっという間に濡れて行く手の甲をぼんやりと見下ろしていると、白い指が伸びてきて、それを覆った。

ぐっ、と力強く、そして繊細に握られる。
今度は翠の手にカヤの涙が一粒、二粒、落下していった。


「……カヤは、本当にそれで良いのかよ……?良くないだろっ……?」

翠にしては粗雑な返答だった。

カヤの言葉に対してはっきりとした意見を言わず、こうして質問で返す。

ああ、きっと彼も分からないのだ、と分かった。

このどうしようもない状況の中、翠は行く道を見失っていた。



――――しかしカヤは幸運なことについ先程、己の本心を探り当てていた。

「……良く無いよ」

だから本心を吐露する事が出来た。

「良く無いよ。嫌に決まってるでしょう」

二人が顔を上げたのは、ほぼ同時だった。
翠は驚きのため。そしてカヤは心を決めたため。


「ねえ、翠。本当はね、気が狂いそう」

涙で濡れたままの右手を持ち上げ、ひたり、とその頬に触れる。

吸い付くような瑞々しい肌に、同じものを触れ合わせたくなった。

「翠の瞳が誰かを映して、翠の指が誰かの髪に触れて、翠の唇が誰かに口付けるなんて、考えるだけで怖いよ」

私を見止めて優しい色を灯す瞳も、私の髪を慈しみ撫でてくれる指も、私に激しくも甘い情愛を刻み付けた唇も。

すべてだ。すべてが、ぞっとするほど愛おしかった。



「……でもきっとタケル様の言う通り、これが一番翠を幸せにする方法なんだろうね」

カヤの顔に浮かぶのは、もう取って付けたような嘘の笑みでは無かった。