(もう良い!なるようになれ!)

廊下の角から伊万里が姿を現した瞬間、

「……っあ、伊万里さんじゃないですか!おはようござ……」

決死の演技で偶然鉢合わせた風を装った。
の、だが。

「えっ……?」

一瞬で貼り付けた作り笑いは、これまた一瞬で吹っ飛んだ。

伊万里の眼が泣き腫らしたように真っ赤になっていたのだ。

いや、それどころか現在進行形で大粒の涙が溜まっていた。


「あ……カヤ様……おはようございます……」

「ど、どうしたんですか……!?」

弱々しい声で挨拶を返してくれた伊万里だったが、カヤは仰天して思わず尋ねていた。

とてもじゃないが尋常では無い様子である。

驚きのあまり、カヤは思わず伊万里を気遣うように肩を撫でていた。

「あの……大丈夫ですか……?」

「は、い……申し訳ありませんっ……」

華奢な肩を撫でている間にも、伊万里の大きな瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちて行く。


小刻みに震える長い睫毛を、ただ見ていた。

静かに涙する伊万里は、こんな時でもとても可愛いかった。

やがて一しきり泣いた伊万里は、小さく「ありがとうございました」と呟く。

それを合図にカヤは肩から手を放した。

伊万里は、ふう、と自分を落ち着けるように息を吐くと、静かに口を開いた。

「……実は昨夜、翠様に世話役の任をお断りされまして」

そう悲しそうに笑って。


「えっ……?」

「お恥ずかしながら私、大泣きしてしまいまして……どうにかお考えを改めて頂けないか頼み込んだのですが、結局、一晩中懇々と説得されてしまいました」

カヤは衝撃を受けた。
そして自分が大きな勘違いをしていた事に、ようやく気が付いた。


「諦めきれず、何度も何度もお願いしたのですけどね。あのお方は、どうしても首を縦には振って下さりませんでした」

伊万里の笑顔があまりにも寂しそうで、カヤはなんと言っていいのか分からなかった。

「そう……なんですね……」

そんな気の利かない言葉しか言えないカヤに、伊万里はそれでも微笑みを絶やさずに居てくれる。

「私、昔から身体が弱くて、家に閉じこもりきりだったんです。でも年に二回の祭事の時だけは特別に外に出る事が出来て……その祭事で舞を舞う翠様をお見かけした時からずっと、あの方に憧れていました。だから、いつかお傍にお仕え出来れば、とずっと望んでいたのですが……」

「残念です」と睫毛を伏せながら、伊万里は笑う。

本当に心の底から翠に憧れているのだと分かった。
言葉からも表情からも、無念さが滲み出ている。


伊万里は一度ぎゅっと瞼を閉じた。
押し出された涙が一筋、ふっくらとした頰を綺麗に伝っていく。

それに見惚れていると、やがて伊万里が顔を上げた。

潤んだ瞳はまだ赤いけれど、それでも先ほどよりも晴れ晴れとしているように見えた。