「そろそろ、そう言う心構えの訓練もした方が良いのかもしれねえな」

そう呟いたミナトは、再び木刀を握ると少しカヤから距離を取り、構えを取った。

「よし、俺を殺すつもりで掛かってこい」

「そんな無茶な……」

困り果てて立ち尽くすカヤに、ミナトは厳しく眉根を寄せる。

「誰か居ないのかよ、殺したい奴。そいつを思い浮かべろ」

居るわけが無い。

すぐさまそう言おうとしたが、はいそうですか、と優しく許してくれるようなミナトでも無い。

カヤは仕方無く考える事にした。


(殺したい奴……は、居ないけど、殺されかけた人なら居たな)

すぐに頭に浮かんだのは、膳だった。

この国の未来を思うあまり、カヤを亡き者にしようとした膳。

あの出来事がきっかけで、カヤは産まれて初めて本気で身投げを考えたのだ。


しかし今、目の前に膳が無防備な状態で立っていた所で、殺したいかと問われると怪しかった。


『――――――必ず汚れ役となる者が必要となる。私は、あのお方に変わり、自らそれを引き受けていただけの事』


生きるか死ぬかのあの極限状態の中、それでもカヤは、膳の見事な敬仰心を目の当たりにしていた。

翠を想う気持ちの色が綺麗か汚いかなど、カヤが判断する事では無い。

そのためかカヤの中で膳は、殺したい対象には成り得なかった。


次に思ったのは、カヤの両親を殺した弥依彦の父親だった。

隣国を治めていた先代の王は、采配力はあったが非常に冷酷な人間だった。

カヤの母親は、カヤの目の前で首を刎ねられた。

かか様は戻って来ないけれど、仇を討てるなら、討ちたい。

(……でも、もう死んでる)

あの血も涙も無いような男は、幸いにと言って良いのか、若くして病死した。

この世に居ない人物を殺したいと思っても、空気を掴むような話だ。


(じゃあ弥依彦?)

すぐにあの我儘王子の顔が浮かんだが、別に弥依彦を殺したいほど憎んでは居ない。

嫌いな事に代わりは無いが、そこまでの恨みは無かった。



――――そして最後に浮かんだのは、ハヤセミだった。

隣国の王に代々仕えている一族の男。

実質は現王の右腕と言う立ち位置だが、何せ弥依彦はあの馬鹿さ加減だ。

今や裏で国を動かしているのは、あの男だろう。


(……ミズノエを殺した、あの男)

父も母も死んで、独りになったカヤに寄り添ってくれた心優しいミズノエを。

あろう事か、己の血を分けた弟であるミズノエを――――たかがカヤに髪飾をくれたからと言う理由で、亡き者にした。


――――素直に殺したいと思える相手は、後にも先にもあの男だけかもしれない。




ぽっ、と小さな火が心に一つ灯った。

それは危なげに揺らぎ、ぢりぢりと空気を焼いていく。


「……居るかも。殺したい人」

ぼそり、と呟き、カヤは剣を構えて目の前のミナトを真っすぐ見つめた。