―――――シャンッ、と軽やかな鈴の音。


「水は下りて地は得る灯り。天が得るは下る水」

そして、厳かに響く静粛な声。


陽光を遮った暗い部屋の中、カヤとタケルは翠を見つめていた。

翠は祭壇に向かって正座し、神楽鈴を手に言霊を唱えている。

穢れを持ち込んでしまうと言う理由でずっと行えなかったお告げだったが、この度翠の右手の傷が完全に癒えたため、ようやく再開できる運びとなったのだ。



『――――翠様の傷の調子は如何ですかな?』

そう高官の爺達がタケルに声を掛けている現場を、カヤは偶然にも幾度か目撃していた。

神官の実の弟であるタケルにわざわざ無言の圧力を掛けるほど、翠のお告げは国の指針となる重要なものなのだ。

カヤでさえ理解している事を、当の本人である翠は、もちろん重々に承知しているに違いない。

怪我のせいで占いが出来なかった時期、翠はそれこそ鬼のように他の公務に神経を注いでいた。

一度も口に出さなかったが、早くお告げを再開せねば、と誰よりも感じていたのは、きっと翠本人だろう。

そのため今日の占いは、正に誰もが"満を持して"と言った所だった。

の、だが。

「あまつこと持たず、されど天啓は衆水に印す。不如持つ事は一種知らずして……」

ぴたり、と唐突に言霊が途切れた。


「……駄目だ」

溜息交じりに呟き、翠は神楽鈴を祭壇に置いた。

カヤは非常に驚いた。

何度か占いを見てきたが、翠が中断する所なんて見たことがなかったのだ。


「今日は止めておいた方が良さそうですな」

隣のタケルが口を開いた。

「言霊に力が全く感じられません。そのような状態では、ぞんざいなお告げしか降りてこないでしょうな」

なんとも辛辣な言葉だった。

一瞬、翠が気を悪くするのではと思ったが、当の本人は怒るどころか、少し疲れたように額に手を置いて項垂れた。

「すまない……やっと傷が癒えたのに」

参ったように言った翠に、タケルもカヤもちらりと眼を合わせた。



律が牢から忽然と姿を消してから、数日経っていた。


その報せを聴いた時、丁度翠は朝げの時間帯だった。

真っ青な顔でこの部屋に飛び込んできたタケルから、その事を告げられた時の翠の顔と言ったら―――――怒りを通り越して、もはや能面のようになっていた。


律がどの時間帯に、どこから、どうやって逃げたのかはさっぱり分からないらしい。

四人態勢で警備をしていた兵達が定時確認のために牢を開けた時には、もう忽然と律の姿は無く、翠が『貸した』衣だけが、綺麗に畳んだ置いてあったそうだ。

尚更に腹が立つ――――とは、衣の件を聞いた時の翠の言葉である。