少しだけ枯れた、色褪せた朝。秋の朝。

青々とした緑は木々から抜け落ち、それぞれが赤や黄色に塗り替えられようとしている。

一年で一番、世界に見惚れてしまう季節がやってきた。




台所からは、朝食の焼き魚の良い匂いが漏れ出して、屋敷中に漂っている。

そんな食欲をそそる匂いの中、カヤは全力で廊下を走っていた。

屋敷内の調整やら何やらでしばらくは以前と変わらず馬小屋勤めをしていたカヤだったが、晴れて今日から、また翠のお世話役に付く事となっていた。

そんな記念すべき日だと言うのに――――カヤは、所謂『遅刻』をかましていた。


滅茶苦茶に緊張していて、昨日の夜は寝付けなかったのだ。
そのせいで寝過ごして今に至る。

(ああもう最悪だ!)

自分自身を殴り飛ばしてやりたい。



「お、おはようございます!遅れて申し訳ありません!」

息も絶え絶えになりながら翠の部屋に入ると、彼は今朝も完璧な姿でそこに佇んでいた。

幸いタケルは部屋に居ないらしい。

良かった。初日から寝坊した事が知れれば、どんなお説教を喰らう事か。

部屋に転がり込んできたカヤに、翠は苦笑いを見せた。

「おはよ。忘れてるかと思ったわ」

「ご、ごめんっ……昨日、緊張して寝れなくて……」

申し訳なさで縮こまりながら翠の前に腰を下ろすと、彼は小さく笑った。

「同じだな」

「へ?」

「俺も、カヤの事思ってよく眠れなかった」

グサァ!と、心臓を一突きされたようだった。


(駄目だ、翠が直視出来ない)

むず痒さのあまり、カヤは深く俯いてしまった。



湖で、あの口付けを交わして以来――――思い出すと悶絶してしまうため、なるべく思い出さないようにしているが――――翠と二人きりで会うのは初めてだ。

一度だけ顔を合わせた事があったが、それはタケルを交えて、カヤが世話役に戻る旨の話し合いをした時だけだ。

勿論タケルは、カヤと翠が男女の仲だとは夢にも思っていないため、あの時はあくまで『翠様』として接した。

そのため、こうして素の方の『翠』と顔を合わせるのは、あれ以来なのだ。


どんな顔をして良いのか分からなくてモゾモゾしていたカヤは、不意に飛び上がった。

翠の指が頬に触れて来たのだ。

思わず顔を上げると、翠は柔らかな笑顔でカヤを見つめていた。

優しい指先が、愛でるようにカヤの頬を何度も撫ぜる。

「なななななんでしょう?」

「うん。タケルが来たら触ってられないから、今のうちにと思って」

「みみみみみつかったら怒られるよ?」

「少しくらい良いだろ?この数日、頑張ってカヤのこと我慢してたんだから」

「なっ……」

狼狽えるカヤをからかっているのか、はたまた本気なのか。


(いや、この眼は本気だ)

真面目さしか感じ取れない。

翠は、恥ずかしげもなく本音をぶちまけに来ているに違いなかった。