「っ離れないで、ねえ、もっと」

泣きそうになりながらせがむと、ひたり、と翠が額を合わせてきた。


「もっと、何?」

「もっと……」

「続き、言わないと分からない」

そう言って今度は焦らす様に鼻先を触れ合わせる。

それなのに翠は翠をくれないのだ。

とんでもない羞恥と、それすらも上回ってしまう激しい欲求に、本当に涙が出た。

(こんなに欲しいのに)

どうしてくれないの。どうして、どうして。


「……泣くのは狡いな」

そう苦笑いを漏らした息すら、そんなに熱くさせておいて。

翠の方がずっとずっと狡いに決まってる。

「す、い……翠っ……」

ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、必死に翠の両頬を引き寄せた。

泣いたせいで頭がくらくらして、僅かばかり残っていた理性は、もう溶けきっていた。

「も、もっと……ねえ、翠」

「うん。ちゃんと言いな」

「もっと……」

「うん」

「もっと翠がほしいっ……!」

俺もカヤが欲しい――――と、幻聴か現実か分からない声が聞こえたと同時、ようやく与えられた唇に、身体中が歓喜に沸いた。



(ああ、ユタ……本当だね……)

ふとした瞬間に溢れてきて、嫌でも自覚する時が来る、と。

正にその通りだった。
何かが押さえ付けていたものが一気に弾けて、濁流のように内側から溢れ出てくる。


―――――もう止まらない。後は溺れるだけ。

欲しがるだけ欲しがり、時が経つのも忘れて、ひたすらに求め合った。





「―――……ん、」

口の中で、くつりと唾液が音を立てて、それが合図かのようにゆっくりと離れた。

恐ろしいほどの名残惜しさに、身体中が冷たくなる。

安寧が欲しくて、目の前の首元に腕を巻き付けると、ぐいっと身体を引き起こされた。

「っわ」

胡坐を掻く翠の上に、向かい合うようにして座らされた。

普段とは違い、珍しく見下ろす位置ある翠の顔は、果てしなく穏やかに微笑んでいる。

好きな眼。
ああ、この眼が一番好きだ。



「……きっとタケル様に怒られるね」

冗談めいて言えば、翠は、ふっと小さく笑いを零した。

「言わなきゃ良いよ」

「……良いのかな、黙ってて」

「あいつの説教の長さ知らないだろ。冗談じゃなく丸一日潰れるぞ」

「あはは、それは大変だ」

くすくすと笑って、そしてそれも止んだ後、ふと見つめ合う。

音も無く引き寄せられて、もう一度だけ口付けをすると、二人は隙間なく抱き合った。



「……俺、カヤに普通の幸せはあげられないかもしれない」

すっぽりと翠の頭を抱いているせいで、その声が心臓の真上に響いた。

「うん」

そんなの構わないよ、と言う代わりに、抱きしめる腕に力を込める。

「これからもずっと女の振りを続けなきゃいけないし、きっと誰からも祝福されない」

「うん」

「力が自然に消えるまで子も成せない。それに、それがいつになるかも全く分からない」

「うん」

「大陸に行きたいって言う夢も……もしかしたら叶えてあげられないかもしれない」

「うん」

「……ごめん。ごめんな、カヤ」

琴線に訴えかけるような声が、何度も詫びを繰り返す。

「本当にごめん。それでも俺はカヤが欲しい」

そんな泣きそうな声が、心を揺さぶって苦しくさせるのだ。

ああ、いっそ泣いてしまってくれ。
喚くだけ喚いて、もっとその激情をぶつけて欲しい。


「修羅の道でも、地獄でも、カヤが居ればなんでも良い。なあ、お願いだ。どうか俺と共に」

生きてくれ―――――と、その呪いのような言葉から逃れられるはずが無かった。


返事をするようにその髪に口付けて、そして顔を上げた翠の唇を、また塞いだ。


(狂ったって構わない)

ぞっとするほどの幸福があるのだと、初めて知った。








胸に湧く不安から逃れるように、固く抱き合う。

この先に待ち受けている苦痛を忘れるように、唇を交わす。


そうやって愚かな戯れに興じる二人を、月がだけが嗤って見ていた。