まあ、あんまり考えすぎないようにね―――――と言い残し、二人が帰って行った後も、カヤは考える事を止められなかった。

二人に会えたと言うのに、気持ちが晴れるどころか、更に複雑に絡み合ってしまった気分だ。

寝床に横になって眼を閉じると、次から次に翠の顔が、声が、触れられた感触が蘇る。

その度に心臓がぎゅっと縮んで、息がし辛くなって、カヤは何度も己を掻き抱いた。



「っ無理!」

やがて叫びながら飛び起きたのは、もう真夜中に近い頃だった。

駄目だ。一切眠れる気がしない。
じっとしていると、自分で自分を苦しめに掛かっているようなものだ。

カヤは寝床を抜け出すと、夜の散歩に繰り出す事に決めた。

歩けば多少は何かが緩和される―――かもしれない。




違和感に気が付いたのは、家を出た瞬間だった。

カヤの今の住居は、屋敷をぐるりと囲む塀の、すぐ外側に位置している。

そのため少し歩けば、カヤの身長よりもずっと高い塀が立ち塞がっているのだが、今夜は何やらその塀の中が騒がしい気がした。

真夜中だと言うのに、風に乗って複数の兵の声が聴こえてくるし、かがり火を多く焚いているのか、塀の中がいつもより明るい。

何かがあったのだろうか。


(あの子達、大丈夫かな……)

カヤは、すぐに馬達が心配になった。

馬はとても繊細な生き物だ。
普段と違う空気に怯え、不安がっているのでは無かろうか。

そう思ったカヤは、急いで馬小屋に向かった。


そして馬小屋が見えてきた頃、カヤは一足早く胸を撫で下ろした。

カヤの住居よりも更に塀から離れているためか、あの喧噪もほとんど聞こえて来ないようだ。

それに馬達が騒いでいる様子も無い。

どうやらカヤの杞憂だったらしい。

そうは思いつつも、念のため様子を見ておこうと思ったカヤは、馬達を起こさないよう忍び足で馬小屋に足を踏み入れた。

「……あれ?」

意外な光景に、カヤは驚いた。

眠っていると思っていた馬達が起きていたのだ。

しかし特に興奮しているような様子も見受けられない。
どの馬も、静かに柵の中に佇んでいる。

騒ぎに気が付いて起きたのなら、もう少し気が立っていそうなものだが。

何かが変だ、と思いつつ、カヤは一番近くに居た馬に近寄った。

「どうしたの?皆起きちゃったの?」

頬を撫でながら問いかけると、ふと馬の瞳がカヤから逸れて、馬小屋の奥を見やった。

釣られるようにしてそちらを向いたカヤは、飛び上がった。

暗がりに隠れるようにして、人間が一人居たのだ。


「だ、誰……?」

震える唇で尋ねると、その人物が顔を上げた。
暗闇のせいで、その姿は良く見えない。

「お前こそ誰だ」

凛とした淀みのない声。
驚いた。それは明らかに女性のそれだった。


答えられないで居ると、やがて陰っていた月が雲から顔を出した。

白い月光が小屋の中に遠慮がちに入り込み、カヤを、そしてその女をゆっくりと照らす。


――――美しい人間だった。


「翠……?」

なぜだかそう呟いて、そして当たり前だが、一瞬後には全くの人違いだと悟る。