カヤを見上げていた翠の眼が大きく見開かれた。
そして一瞬後には、するりと呆気なく逸らされる。


「……他人行儀な物言いをするようになったな」

その声の何と冷ややかな事か。

それを向けられたカヤの身体が、ぎゅっと強張った。

翠の口元は一応笑みを浮かべてはいたが、もうその眼は笑っていなかった。

翠は、動けないカヤに一瞥もくれる事なく背を向けると「おやすみ」と一言だけ呟き、去って行った。





「――――タケル、すまないが私は先に戻るよ」

「――――ええ、承知しました」

離れた場所に居たタケルにそう声を掛け、足早に屋敷に向かって行く翠の後ろ姿を、カヤは呆然と見つめていた。

くらくらと眩暈がした。


(何、あの言い方……)

怒りとも悲しみとも付かない感情が、わっと溢れ出して来る。

それは、手綱を握る手を小刻みに震えさせるほどのものだった。



「……カヤ様……カヤ様……?」

放心状態だったカヤは、自分を呼ぶ声にハッと意識を取り戻した。

何時の間にやら、真横にヤガミとミナトが立っていた。

二人とも、怪訝そうな顔でこちらを見上げている。

「大丈夫でございますか?そろそろ馬小屋に戻ろうかと思うのですが……」

「っあ、はい!そうですね!戻りましょう!」

ヤガミの言葉に慌てて頷いたカヤは、しかしふと思い留まる。

右を向くと、ミナトとの談笑を終えたらしいタケルが、屋敷へと向かっていくのが見えた。

「……ヤガミさん、ごめんなさい。馬を頼んでも良いですか?」

「はい?」

俊敏に馬から降りたカヤは、戸惑うヤガミに手綱を押し付け、タケルを追いかけた。



「タケル様……!」

のっしのっしと歩く背中に向かって呼びかけると、タケルは歩みを止めて振り返った。

「どうしたのだ?」

「お疲れの所申し訳ありません!少しよろしいですかっ……?」

息を切らしながら言ったカヤに、タケルは不思議そうな顔をしながらも「うむ」と頷く。

「あの、翠様の事なのですが……」

彼の名前を出しただけで、本題に入ってもいないのにタケルの表情が明らかに曇った。

「ああ……やはり気が付いたか」

その物言いに、翠の様子がどこか可笑しいと感じたのは、自分だけではないと確信した。

「翠様は大丈夫なのでしょうか?お痩せになられたようですし、手の傷も治っていないのでは……?」

あの湖の日から今日まで、翠がどんな日々を過ごしたのかは分からない。

一体いつから、そして何故、あんなにも心許ない空気を纏うようになってしまったのだろう?

カヤはそれが酷く気になった。