夏の朝が好きだ。
昼に向けてぐっと熱くなる前の、心地良いひんやりとした空気。

間違いなく四六時中息をしているのだけれど、その中で呼吸をすると、生きている実感が確実に湧いてくる。


「はー……今日も良い天気」

そんな清々しい空気を肺いっぱいに吸い込んで、カヤは桶を手にしながら馬小屋へ足を踏み入れた。

「リン、おはよう」

柔らかな朝日に照らされながら飼い葉を食んでいた黄白色の馬は、頭をもたげた。

「よく眠れた?」

近づいて手を伸ばすと、リンは甘えるように鼻面をすり寄せてくる。


――――翠の元を離れ、何日経っただろう。

初めのうちは何となく数えていたカヤだったが、もうそれも止めていた。

湖で決別した時は初夏だった季節は、正に今は夏真っ盛りとなっていた。


あの日、世話役を降りたカヤは、屋敷の馬達の世話をする任に就いていた。

それに伴い住居も、屋敷の外にある馬小屋にほど近い空き家に移る事となった。

これは大変にありがたい事だった。

一応屋敷勤めとして扱われるため、お給金も支給される上に、馬小屋の周りは他に住人もおらず、カヤはほとんど誰とも会わずに生活することが出来た。


馬達はカヤに畏怖を向けず、ただただ無垢な瞳を向けてくれる。
物言わぬ馬達と過ごす日々は、とても穏やかだった。

カヤが馬小屋勤めになる事を決めたのが、誰なのかは聴いてはいない。

本来ならば、女であるカヤは台所勤めになるのが自然な流れであった。

勿論カヤもそう思っていた。

だがなんとなく、あの人が進言してくれたのではないだろうか――――カヤにはそう思えて仕方なかった。



カヤは、あれ以来ほとんどと言っていいほど屋敷の敷地内に足を踏み入れてなかった。

そのため翠と一切顔を合せなかったし、屋敷の人間の好奇の眼に触れる事も無かった。


ただ、一度だけ屋敷内に入った事があった。

あれは世話役の任を解かれて七日程経った頃だった。
ナツナを伝ってクシニナに呼び出されたのだ。


ナツナから事前に聴いていた話しによると、翠はクシニナに咎めを与えなかったそうだ。

ユタもタケルも、きっと翠なら正しい判断を下してくれると言っていたし、カヤもきっとそうだろうとは思っていたが、それを知った時は、やはり大きく安堵した。

とは言え、一体何を言われるのだろうと緊張しながらクシニナに対面した瞬間、彼女は勢いよく頭を下げたので、カヤは大変に驚いた。

「私の父がすまなかった」と、ただひたすらにクシニナは繰り返した。

カヤは慌ててクシニナに頭を上げるように頼んだし、自分も何度も謝罪をした。

傍から見れば、ただの滑稽な謝罪合戦だっただろう。