【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

カヤが眠っている間に、どうやら薬が劇的に効いたらしい。
翠の顔色が非常に良くなっている。

「よかった」

「迷惑かけたな」

「ううん」

首を横に振ると、不意に翠が右手を持ち上げた。

「……いって」

しかし傷が痛んだらしい。

少し眉を寄せると、代わりに左手を持ち上げて、手の甲でカヤの頬に触れた。

翠は何も言うことなく、カヤの頬を何度も撫でる。
カヤもまた黙って翠の手に身を委ねた。


ぞっとするほど静かな夜だった。

窓から入り込む透明な月光が、翠の肌を柔く照らし、その白さを際立たせている。

翠の肌は、暗闇に在るのが一番美しい。

(だって、翠は夜みたいなものだから)

そうだ。翠はいつだって夜そのものだった。
静かで、穏やかで、その中で眠ってしまいたくなる。

どうしてこの人は、人の形をしているのだろう?

実体の無い宵になって、この身体を永遠に包んでくれれば良いのに。


そんな馬鹿なことを考えたカヤは、ようやく口を開いた。

「翠。まだ真夜中だから、もう少し寝てて?」

頬を撫でていた翠の手を優しく取り、寝床の中へ戻す。
代わりに己の左手で翠の右頬を包んだ。

「……うん、そうするよ」

カヤの掌に頬を少しだけすり寄せ、翠は眼を閉じる。

ほどなくして彼は寝息を立て始めた。

あれほど苦しそうだった呼吸は一切感じられず、穏やかなものだ。

もう大丈夫だ。
きっと次に眼を覚ました時、体調は完全に戻っているだろう。

カヤは翠の頬から手を放すと、物音を立てないように静かに立ち上がった。


(次に眼を覚ました時……か)

その時を、出来れば一緒に迎えたかった。
しかしきっとその時、カヤは彼には到底追いつけない場所に居る。

どうか翠がそれに気が付くのに、長い時間が掛かりますように。


そう願いながら、カヤは忍び足で部屋の入口へ向かう。

最後の翠の顔も敢えて見なかったし、振り返るつもりも無かった。

(さよなら、翠)

ただ、無言の別れを呟いて。



「――――……カヤ……?」

それなのに、足を止めてしまった。

「っ」

カヤは飛び上がらんばかりに驚いた。

なんて事だろう。完全に眠ったと思っていたのに。
一番起きて欲しくなかった今この瞬間に、彼は再び眼を覚ましてしまったらしい。

「……どこ行くんだ?」

柔らかな衣擦れの音。背後で翠が起き上がる気配がした。
カヤは前を向いたまま、どうにか言葉を紡ごうと口を開いた。咥内がカラカラに乾いていた。

「少し散歩に行くだけだよ」

「こんな真夜中に……?危ないぞ。俺も行くよ」

「っ来ないで!」

咄嗟に振り向いてしまったカヤは、叫んでしまった事を後悔した。
翠が怖い顔をして立ち上がったからだ。

「……おい、どこ行く気だ」

低い声は、完全に何かを悟っていた。

ああもう、最悪だ。他に言いようがあったはずだ。
行き先なんて口が裂けても言えるわけが無い。