あれは、あれだ。
家族愛のようなものだ、きっと。

翌朝目が覚めたカヤは、そう思える程度には気持ちに余裕が出来ていた。

(気にするな気にするな深い意味は無い)

呪文のように自分に言い聞かせつつ、次の日もカヤは勇気をもって翠の部屋へ赴いた。

しかし心配せずとも、翠は自分の発言や行動を全く覚えていないようだった。
いや、寧ろカヤはそんな事を気にしている場合では無くなってしまった。


――――あの日以来、翠の体調は悪化の一途を辿るばかりだったのだ。







「翠、もう良いの?」

「……ん、悪い」

赤い顔をした翠は力無く頷いた。

「謝らないで。器返してくるから、眠っててね」

そう声を掛けると、翠はゆっくりと瞼を閉じた。

苦しそうに呼吸を繰り返す翠を気づかわし気に眺め、カヤはほとんど減っていない粥を台所へ戻すべく立ち上がった。


ここ数日の翠は、食事もまともに受け付けないほどに体調が芳しくなかった。

既に何種類かの薬草は試したものの、どれもこれと言った効果は見られず。
元々高かった翠の熱は一向に引く気配を見せなくて、それどころか明らかに高くなっているようだった。


『このような事、初めてだ』

タケルがそう漏らしたのは、昨日の事だ。

基本的に翠は健康体らしく、あまり体調を崩さないらしい。

そんな彼がここまであからさまに身体を患い、かつそれがこんなにも長引くなど、タケルですら今まで見たことが無いそうだ。



「……はあ」

心配の溜息を吐きながら、カヤは台所へ向かって足取り重く歩いた。

べたつく廊下が足の裏に張り付いてくる。
翠の体調と呼応するように、外はずっと雨が降り続けていた。

カラッと晴れればなんとなく翠の体調にも良いような気もするのだが、屋敷内は梅雨の湿気でじめじめとしていて、とても不快だった。


(頭重いなあ……)

実を言うと、ほんのり体調が悪かった。
翠のような病では無い。ただの寝不足だ。

翠の私室に立ち入りを許されているのは、タケルとカヤのみだ。
よって翠の看病を出来るのもその二人に限られている。

しかし翠が不在の今、タケルは公務の事でてんやわんやのため、実質翠の看病はカヤ一人で行っていた。

昼間だけなら特に問題は無いのだが、翠は夜になると激しい咳に見舞われる日が多かった。

そんな日は、カヤは咳の落ち着く夜明け前まで夜通し翠に付いていた。

翠は咳き込む合間に何度も「帰れ」と訴えかけてきたが、まあ勿論聴く耳を持つはずも無く。

だって、それほど翠の症状が酷いのだ。
帰ったところで、心配で眠れないに決まっている。


それに時たまタケルが付き添いを変わってくれるので、仮眠を取る事も出来ていた。

熱に魘されてまともに眠れていない翠より、ずっと睡眠は取れている。
ただ、さすがに少し疲れが溜まり始めていた。

何が何でも口にも態度にも出さないが。


(……それに、寝不足ならまだ良いもんだ)

なぜなら、もっとカヤの気分を落ち込ませることがあるのだ。



「――――何かの呪いだわ」

「――――そうよ、だってこんな事今まで無かったじゃない」

「――――きっとあの娘が災厄を運んできたのよ」


廊下を歩くカヤの後ろを、そんなひそひそ声が追いかけて来た。