【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

「は……?何だよ、いきなり?」

いきなり退いたカヤに、翠が驚きの声を漏らす。

「な、なんでもない……!」

ぶんぶんと首を横に振る。
なぜ逃げたのかは自分でもよく分からなかった。

ただただ、翠の頭が己の膝の上に乗っている状況に耐えきれなくなったのだ。


「……なんで逃げるかな、お前」

呟いた翠はしんどそうに立ち上がると、恐ろしい事にゆっくりと近づいてきた。


見たことがある光景だった。
あの日、あの洞窟で、カヤに灸を据えて来た翠そのものだ。

なんて皮肉な。
翠の体調が芳しくないところまで忠実に再現されているではないか。


(また同じことされる……!)

本能で悟ったカヤは、震えあがった。

正に形勢逆転だった。
先程までカヤが怒っていたはずなのに、立場が見事にひっくり返っている。



「人が大事だって言ってんのに逃げるってどう言う事だよ」

翠は低い声でそう言いながらカヤの肩を掴んできた。
眼が据わっている。

無理やり押え付けられたあの時の感触が蘇り、カヤは翠の身体を必死に押し返した。

「や、やめてっ……もう噛まないで!今日は灸を据えられる覚えは無い!」

「……噛まねえよ」

「じゃあなんで迫って来るの!なんか今日の翠、可笑しいよ!」


(そうだ、すごく変だ)

一体なんだって言うのだ。
いつもの優しくて穏やかで、冷静な翠は何処へ行ったんだ。

口調も乱暴だし、とんでも無い事を口走るし、こんなの洞窟の時とは比にならないくらい翠らしくない。

熱か?熱のせいなのか?
翠は熱が出ると人が変わる人種なのか?



「知るか。煽ったのはそっちだろ」

「あ、煽ってなんか……!いやまあ確かに近いような事はしたかもしれないけど……!」

まさかそこまでぶっ飛んだ発言をされるなんて思っていなかったのだ。
自分勝手だけど、こんなの気持ちが追いつきやしない。

「もう良いから大人しくしろ」

「ひっ」

汗ばんだ手で膝を抑えつけられ、カヤは身体を固くした。

(噛まれる……!)

ぎゅっと目を瞑った時だった。


ふわり。
感じたのは、膝の上に乗ってきた温かな体温。


「……あ」

翠が、再びカヤの膝に頭を乗せていた。

噛まれなかった事に安堵したものの、それでもカヤはあわあわと焦ってしまう。

「ちょ、ちょっと、翠……!」

「もうあんな事しないから、これぐらい良いだろ」

まだ少しだけ怒っているような翠が、ちらりとこちらを見て来た。

「いや、でも……」

「しばらくしたら起こしてくれ……少し寝る」

冗談じゃない。
この居た堪れなさをいつまで味わえと言うのだ。

すう、と眼を閉じてしまった翠の肩を、カヤは必死に突っついた。

「ねえ、寝るならちゃんと寝床で寝ようよっ……」

そう訴えるが、翠は動く気配すら見せなければ、瞼すら開かない。

それどころか、少し寝返りを打ってカヤの膝に顔を擦り寄せてきた。
熱い吐息が直接皮膚にかかり、カヤは飛び上がった。

「ひっ、や……こら翠!やめてよ…!」

くすぐったいその感触に身を捩ると、翠がうざったそうに腰を抱き込んできた。

体温の高い二本の腕にしっかり固定され、カヤは飛び上がった体勢そのままに固まった。

「るさいな……ここが良いって言ってるだろ……」

「あの、あの、あのっ……」

「……黙って貸せ……カヤの膝、柔らかくてきもちいんだ……よ……」

酷く眠そうな声でそう言って、翠は瞬く間にすうすうと寝息を立て始めた。


(しんっじられない……)

カヤは絶句した。
よくもまあ、そんなこっぱずかしい発言をかました後で眠りに就けるもんだ。


「……馬鹿翠」

溜息を付いて、カヤは諦めて翠に膝を貸す事にした。


(なんか、頬っぺた熱いんですけど……)

そんな事に気が付いて、やたらとじんじんする自分の頬を、両手で包む。

身体の強張りが解けない。
鼓動が鳴りやまない。



(どうしたって言うんだ)

熱を帯びた頬は、翠の額の熱さと良い勝負だった。