「なんですかっ?」

「翠様が部屋に入るなと申されておるのだよ」

「え?何故ですか?」

「病がうつってしまうからとの事だ……」


(……なんだそれ)

なるほど、確かに翠が言いそうな事だった。
自分の体調よりも他者の心配か。

(体調が悪い時すら人を頼ろうとしない)

他人には、呆れてしまうほど優しいくせに。


カヤは翠の部屋を隠している、入口の布を見やった。
分厚い布のため、中の様子は見えない。

瞬く間に心配の気持ちと、それを上回る罪悪感が湧いてきた。

今回の事はカヤも無関係ではない。
大雨に打たれる事を選んだのは翠だが、散歩の理由はカヤを思ってくれての事なのだ。


そのためカヤは、籠城する翠の説得を行う事にした。

「あのー、翠様?体調を崩されたとお伺いしました。心配ですのでお部屋に入らせて頂いてもよろしいですか?」

入口に掛かる布越しに声を掛けると、中から覇気のない声がした。

「……要らぬ。私の世話は良いから……他の事をしていなさい……病がうつる」

ぜいぜいと荒い息の声だが、ぴしゃりとした物言いだ。

一切カヤを寄せ付けないその言い方に、少しムッとしてしまった。
そんな明らかに死にそうな声で、良く言えたものだ。


「お言葉ですが!」

カヤは声を張り上げた。

「私の勤めは貴女様のお世話のみです!それが無いとなると、きっと私は暇すぎて寝てしまいます!」

隣でタケルがギョッとしたような顔をした。
心の底から無礼だと分かっているが、カヤは言葉を続ける。

「時間を持て余して居眠りしてしまうのも、貴女様の病をうつされて床に臥せるのも、同じです!だったら私は翠様のお世話が出来る方を選びます!失礼します!」

そう言って勢いよく布を捲り上げた。
タケルが「ななななんと」と衝撃を受けていたが、カヤはそのまま部屋に入り込んだ。


翠は居た。
なぜか筆を握り締めながら、机に向かっている。

ただその上半身は、ぐでーっと机に凭れていた。

カヤは呆れてしまった。
どうやら翠は、何が何でも公務をしたいらしい。


「……カヤ……入ってくるなと言っただろう……」

虚ろな目がこちらを見やる。
何か咎めるような視線を感じ取ったものの、今の翠に迫力は皆無だった。

カヤは続けて部屋に入ってこようとしていたタケルを手で制した。

「あ、タケル様は入らないで下さい。貴方様まで体調を崩されては大変ですから」

カヤの忠告にタケルは足を止めたが、戸惑ったように言葉を落とす。

「しかし、そなたは……」

「私めは重要な任など背負っていないのでお構いなく。ただ申し訳ないのですが、台所から翠様が召し上がれそうなものを貰ってきては頂けませんでしょうか。柔らかな粥が良いかと」

「う、うむ。承知した」

素直に頷き、タケルは慌てた様子で台所へと走っていった。
それをしっかり見届けた後、カヤは足音荒く翠に近寄った。