「へへ、ミズノエに会えて嬉しいなあ」

心が弾んでどうしようもなくて、カヤは頬っぺたを両手で包んだ。

「琥珀が嬉しいなら、僕も嬉しいよ」

その手ごと、ミズノエにぎゅっと抱きしめられた。

小さなその肩で、腕で、カヤの隙間を無くそうとしてくれる。
そうして頭をぽんぽんと撫でてくれる。


ミズノエの腕の中が一番好き、と彼に言った事がある。
僕の腕の中の琥珀が一番好き、と彼は言っていた。


さらさら、さらさら。
そんな柔らかく残酷な音が聞こえた。


大好きな腕が、目の前でまたもや砂のように溶けていく。


さらさら、さらさら。
ぶり返してくる、カヤの涙の音と同じ。


「……まだ一緒にいたい」

駄々をこねると、崩壊は速さを増した。


さらさら、さらさら。
永遠に止まらない、あなたから滴る血の音と同じ。

きっと、免れない。


「大丈夫だよ」

もう人の形をしていないのに、ミズノエの声はとてもはっきりとしていた。

「僕がカヤを守ってあげる。今度こそ」


――――ねえ、最後くらい、"琥珀"って呼んでよ。













さらさら、さらさら。
静かな雨の音で目が覚めた。


「……夢」

夢を見た。
白くて嬉しくて悲しくて崩れた夢。


(抱きしめられていた気がしたけど、誰だったんだろう)

ぼんやりと考えるけれど、もうその人の顔を思い出せない。
思い出そうとすればするほど、指の隙間から砂が落ちていくみたいだ。

ただただ、空虚な幸福感だけが申し訳程度に残っていた。


「……起きよ」

カヤは眠気の残る身体を無理やり起こし、身支度を始めた。



しばしして、カヤは雨の中を走り抜け、屋敷に到着した。

翠と湖に散歩へ行ってから数日経っていたが、あれ以来ずっと雨の日が続いている。
梅雨の時期に入ったのだ。

屋敷の者達は、無事に恵みの雨がもたらされた事を喜んでいたが、カヤは早く夏になってほしかった。

雨は嫌いだ。
かか様が殺された時も、ミズノエが殺された時も、雨の時期だった。



なんとなく憂鬱な気持ちで翠の部屋の前に辿り着くと、そこには数日ぶりに見る姿があった。

「タケル様!」

大きな熊のような姿に駆け寄る。

「お戻りになられたのですね!お帰りなさいませ」

タケルは、なぜか翠の部屋の入口前で立ち尽くしていた。
どうやら旅先から帰ってきたらしい。

「おお、カヤか……」

こちらを向いたその表情の暗さに、カヤは驚いた。
一体どうしたと言うのだ。

「どうされました?」

「翠様が体調を崩されたらしい」

「えっ」

カヤは手で口を覆った。


その瞬間、頭によぎったのは数日前の散歩の件だ。

あの日、雨足が弱まるのも待たずして翠はカヤを大雨の中へ連れ出した。

翠は結局あの女性達の言っていたことに関しては何も話してはくれず、仕方なく2人は濡れ鼠よろしく帰路に着いたのだが、まあ間違いなくあれが原因で体調を崩したとしか思えなかった。


(そう言えば、昨日やたらくしゃみしてたような……)

そんな事を思い出し、カヤは慌てて部屋の中へ入ろうとした。

が、

「待つのだ、カヤっ」

タケルに止められた。