「あらま、あんた達も雨宿りかい?」
「ここで待つと良いよ。この家は今空き家なんだ」
人の好さそうな顔で、その女性達はカヤ達に笑いかけて来た。
「あ……そうなんですね。それなら少しここに居させてもらいます」
カヤもまた、お礼を言うついでに布を目深に下げる。
その二人は「そうしな」と言って、それっきりカヤ達には話しかけてくる事なく、お喋りに花を咲かせ始めた。
念のため翠を隠すように立ちながら、カヤは早く雨足が緩まって欲しいと願った。
辺りは暗いとは言え、ここに居るのが翠だと気付かれない可能性も無い。
そわそわしていると、不意に女性達の会話が耳に入ってきた。
「――――……それにしても、膳様の屋敷もすっかり荒れちまったねえ」
え、と思った瞬間、カヤは不躾にも聞き耳を立ててしまっていた。
「本当、落ちぶれちまったもんだよ。膳様の奥方も出て行っちまったんだろ?」
「らしいね。まあそりゃあ愛想も尽かされるさ」
ちらりと、少し離れた所に居る2人を横目で見やる。
彼女たちは、たった今カヤが軒先を借りている家を見つめながら神妙な顔をしていた。
(……膳の、屋敷……)
カヤは信じられない気持ちのまま、ゆっくり振り返る。
逃げ込んだ時は気が付かなかったが、真後ろの家は随分と大きな家だった。
カヤを雨から遮ってくれている軒先は長く、普通の家には絶対無いであろうしっかりとした門まで構えてある。
しかし門の戸は外れ掛かっているし、その隙間から見える庭は、草がぼうぼうと伸び切っていた。
とても誰かが住んでいる様子は無い。
心なしか、屋敷全体が侘しい空気を帯びている。
かつては立派だったであろうその家は、確かに荒廃していた。
「それにしても、膳様の娘さんも大変だろうねえ……さぞかし働きにくかろうよ」
今やカヤの全神経は、二人の会話に注がれていた。
「ああ、そう言えば娘さんは屋敷で働いてるんだっけね」
「そうだよ。よりにもよって父親が翠様のお怒りを買っちまうなんて、肩身も狭いだろうねえ」
どくん、どくん。
心臓が嫌な音を立てて、冷や汗が吹き出してきた。
(膳の娘が、屋敷に……)
誰だ。カヤが知っている人なのだろうか。
会ったことはあるのだろうか。
会話をした事はあるのだろうか。
その人は知っているのだろうか。
「ほら、なんて言う子だっけ……ああ、そうだ。確か――――」
カヤがきっかけで、膳が位を失った事を。
ぐいっ!と腕を引っ張られたのは、その刹那だった。
「わっ」
翠は、強い力でカヤを土砂降りの中に連れ出した。
慌てて振り返るが、女性たちはカヤに気づかない様子で、まだお喋りをしている。
「ね、ねえ、今の話って……」
ばしゃばしゃと、勢いよく水を跳ねさせながら、カヤは問うた。
言葉に出来ない不快感が腹の中で渦巻いていた。
心臓はまだ激しく鳴り続けている。
「気にするな」
ぐいぐいとカヤを引っ張りながら、翠は短く言う。
「でも……」
気にしないわけには行かなかった。
今の話は、出来れば聞きたくなかった話だった。
それでも、一度耳にしてしまえばそれを無視して、聞かなった振りなんて出来やしない。
僅かな抵抗を見せたカヤに、翠はぴたりと足を止めた。
立ち止まる2人の距離を、雨が隙間なく埋め尽くす。
ゆうるりと振り返った翠の睫毛に、幾粒もの雫が乗っかっては落ち、乗っかっては落ちて行くのが見えた。
「……翠?」
戸惑うカヤに、翠は優しく微笑んだ。
「カヤには関係のない話だよ。な?」
そう言って、形の良い眉を僅かに下げて。
(……ああ、今頃気づいた)
皮膚を濡らす雨がひたひたと入り込んで、心を浸す。
しめやかに冷やして、そうして指の先までをも凍えさせていく。
(翠だって同じじゃないか)
貴方も、眉を下げて嘘を付くのか。
「ここで待つと良いよ。この家は今空き家なんだ」
人の好さそうな顔で、その女性達はカヤ達に笑いかけて来た。
「あ……そうなんですね。それなら少しここに居させてもらいます」
カヤもまた、お礼を言うついでに布を目深に下げる。
その二人は「そうしな」と言って、それっきりカヤ達には話しかけてくる事なく、お喋りに花を咲かせ始めた。
念のため翠を隠すように立ちながら、カヤは早く雨足が緩まって欲しいと願った。
辺りは暗いとは言え、ここに居るのが翠だと気付かれない可能性も無い。
そわそわしていると、不意に女性達の会話が耳に入ってきた。
「――――……それにしても、膳様の屋敷もすっかり荒れちまったねえ」
え、と思った瞬間、カヤは不躾にも聞き耳を立ててしまっていた。
「本当、落ちぶれちまったもんだよ。膳様の奥方も出て行っちまったんだろ?」
「らしいね。まあそりゃあ愛想も尽かされるさ」
ちらりと、少し離れた所に居る2人を横目で見やる。
彼女たちは、たった今カヤが軒先を借りている家を見つめながら神妙な顔をしていた。
(……膳の、屋敷……)
カヤは信じられない気持ちのまま、ゆっくり振り返る。
逃げ込んだ時は気が付かなかったが、真後ろの家は随分と大きな家だった。
カヤを雨から遮ってくれている軒先は長く、普通の家には絶対無いであろうしっかりとした門まで構えてある。
しかし門の戸は外れ掛かっているし、その隙間から見える庭は、草がぼうぼうと伸び切っていた。
とても誰かが住んでいる様子は無い。
心なしか、屋敷全体が侘しい空気を帯びている。
かつては立派だったであろうその家は、確かに荒廃していた。
「それにしても、膳様の娘さんも大変だろうねえ……さぞかし働きにくかろうよ」
今やカヤの全神経は、二人の会話に注がれていた。
「ああ、そう言えば娘さんは屋敷で働いてるんだっけね」
「そうだよ。よりにもよって父親が翠様のお怒りを買っちまうなんて、肩身も狭いだろうねえ」
どくん、どくん。
心臓が嫌な音を立てて、冷や汗が吹き出してきた。
(膳の娘が、屋敷に……)
誰だ。カヤが知っている人なのだろうか。
会ったことはあるのだろうか。
会話をした事はあるのだろうか。
その人は知っているのだろうか。
「ほら、なんて言う子だっけ……ああ、そうだ。確か――――」
カヤがきっかけで、膳が位を失った事を。
ぐいっ!と腕を引っ張られたのは、その刹那だった。
「わっ」
翠は、強い力でカヤを土砂降りの中に連れ出した。
慌てて振り返るが、女性たちはカヤに気づかない様子で、まだお喋りをしている。
「ね、ねえ、今の話って……」
ばしゃばしゃと、勢いよく水を跳ねさせながら、カヤは問うた。
言葉に出来ない不快感が腹の中で渦巻いていた。
心臓はまだ激しく鳴り続けている。
「気にするな」
ぐいぐいとカヤを引っ張りながら、翠は短く言う。
「でも……」
気にしないわけには行かなかった。
今の話は、出来れば聞きたくなかった話だった。
それでも、一度耳にしてしまえばそれを無視して、聞かなった振りなんて出来やしない。
僅かな抵抗を見せたカヤに、翠はぴたりと足を止めた。
立ち止まる2人の距離を、雨が隙間なく埋め尽くす。
ゆうるりと振り返った翠の睫毛に、幾粒もの雫が乗っかっては落ち、乗っかっては落ちて行くのが見えた。
「……翠?」
戸惑うカヤに、翠は優しく微笑んだ。
「カヤには関係のない話だよ。な?」
そう言って、形の良い眉を僅かに下げて。
(……ああ、今頃気づいた)
皮膚を濡らす雨がひたひたと入り込んで、心を浸す。
しめやかに冷やして、そうして指の先までをも凍えさせていく。
(翠だって同じじゃないか)
貴方も、眉を下げて嘘を付くのか。