「ちょっともう、本当にやめてよ……翠に何かあったら、どれだけ大変だと……」
安心してぐったりとしていると、不意に翠がカヤの顔を覗き込んできた。
近しいその距離に、思わずのけ反る。
「え、何……?」
「……なんだ。戻っちまった」
ぼそりと呟き、混乱するカヤを尻目に翠は立ち上がった。
「ほら、行こう」
微笑みながら促され、カヤは首を傾げながらもその背に続いた。
森の中は、穏やかに静かだった。
湿った土の匂いと、葉っぱの青臭い匂いが混ざり合っている。
嫌な匂いでは無かった。夏が近づいている匂いだ。
2人は他愛も無い話をしながら森の奥深くへと足を運んだ。
翠とゆっくり会話を交わすのはとても久しぶりだったからか、目的地へは割かしすぐに到着した。
「ここは……」
カヤは足を止めた。
隣の翠も、ぴたりと歩みを止める。
そこは、かつてカヤが一度だけ訪れた事がある湖だった。
確かにあれは、この国に連れてこられて次の日の夜った。
一人でこの場所に辿り着き、月を見上げていたら、いきなり現れた三人組の男達に追いかけられたのだ。
(その後、翠に助けられたんだっけ)
なんとも不思議だ。
一つだけしか季節が流れていないのに、随分昔の事に思える。
「この場所、たまに息抜きに来るんだよ」
翠はそう言って、肩から担いでいた包みを外した。
「あ、それ……」
翠が解いた包みの中から出て来たのは、三輪の花だった。
ひらひらと、その白い花弁が揺れている。
雪中花だった。
「取り寄せといて貰ったんだ。こっち来いよ」
翠は水際までカヤを誘った。
真下を見下ろすと、闇よりも暗い水面がたぷんと重たく波打っている。
水底どころか、水中の様子さえ見えない。
「この国はな、人が亡くなると水葬で弔うんだ」
二人並んで水面を見つめていると、翠が言った。
「水葬……?」
「そう。国を横切ってる大きな川があるだろ?そこに棺を流すんだよ。花を添えてな」
ちゃぷん、と心地良い音がした。
翠が右手を水中に浸していた。
褐色に塗られた腕が、もっともっと真っ暗な水面に呑みこまれていく。
そのまま混ざり合ってしまいそうで、ぞっとした。
「……その棺はな、血縁の者が代わる代わる担いで三日三晩掛けて川まで運ぶんだ」
「担いで?大変だね……」
「そうだな。でもそれが故人と過ごせる最後の時間なんだ……川に着かなければ良いのに、っていざとなれば思うのかもな」
そう言って翠は、ようやく右手を水面から出した。
掌に掬った僅かな水で、雪中花を優しく濡らす。
繊細な爪の先に、雫がしがみ付いていた。
翠は、まるで我が子のように雪中花を抱きながら、静かに言う。
「雪中花は"安らかな眠り"を表すんだ」
いつしか湖は凪いでいた。
軽やかな白い花弁は、物言わずじっとしている。
安心してぐったりとしていると、不意に翠がカヤの顔を覗き込んできた。
近しいその距離に、思わずのけ反る。
「え、何……?」
「……なんだ。戻っちまった」
ぼそりと呟き、混乱するカヤを尻目に翠は立ち上がった。
「ほら、行こう」
微笑みながら促され、カヤは首を傾げながらもその背に続いた。
森の中は、穏やかに静かだった。
湿った土の匂いと、葉っぱの青臭い匂いが混ざり合っている。
嫌な匂いでは無かった。夏が近づいている匂いだ。
2人は他愛も無い話をしながら森の奥深くへと足を運んだ。
翠とゆっくり会話を交わすのはとても久しぶりだったからか、目的地へは割かしすぐに到着した。
「ここは……」
カヤは足を止めた。
隣の翠も、ぴたりと歩みを止める。
そこは、かつてカヤが一度だけ訪れた事がある湖だった。
確かにあれは、この国に連れてこられて次の日の夜った。
一人でこの場所に辿り着き、月を見上げていたら、いきなり現れた三人組の男達に追いかけられたのだ。
(その後、翠に助けられたんだっけ)
なんとも不思議だ。
一つだけしか季節が流れていないのに、随分昔の事に思える。
「この場所、たまに息抜きに来るんだよ」
翠はそう言って、肩から担いでいた包みを外した。
「あ、それ……」
翠が解いた包みの中から出て来たのは、三輪の花だった。
ひらひらと、その白い花弁が揺れている。
雪中花だった。
「取り寄せといて貰ったんだ。こっち来いよ」
翠は水際までカヤを誘った。
真下を見下ろすと、闇よりも暗い水面がたぷんと重たく波打っている。
水底どころか、水中の様子さえ見えない。
「この国はな、人が亡くなると水葬で弔うんだ」
二人並んで水面を見つめていると、翠が言った。
「水葬……?」
「そう。国を横切ってる大きな川があるだろ?そこに棺を流すんだよ。花を添えてな」
ちゃぷん、と心地良い音がした。
翠が右手を水中に浸していた。
褐色に塗られた腕が、もっともっと真っ暗な水面に呑みこまれていく。
そのまま混ざり合ってしまいそうで、ぞっとした。
「……その棺はな、血縁の者が代わる代わる担いで三日三晩掛けて川まで運ぶんだ」
「担いで?大変だね……」
「そうだな。でもそれが故人と過ごせる最後の時間なんだ……川に着かなければ良いのに、っていざとなれば思うのかもな」
そう言って翠は、ようやく右手を水面から出した。
掌に掬った僅かな水で、雪中花を優しく濡らす。
繊細な爪の先に、雫がしがみ付いていた。
翠は、まるで我が子のように雪中花を抱きながら、静かに言う。
「雪中花は"安らかな眠り"を表すんだ」
いつしか湖は凪いでいた。
軽やかな白い花弁は、物言わずじっとしている。
