【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

「このような状況ですから致仕方ありません。クンリク様さえお返し頂ければ結構でございます」

あまりにも流れるように言われたため、危うく後半部分を聞き逃す所だった。

(……こ、この状況でそれを言うか)

カヤは信じられない思いでハヤセミを見つめた。

「今はそんな事を言っている場合ではないだろう。第一カヤはもう『神の娘』では無いと思ったが?」

翠も同じ事を思ったのだろう。
厳しい表情でそう言った彼に、ええ、とハヤセミが頷いた。

「無論そうですが、次の『神』を成す事は出来ます。クンリク様自体は不要ですが、お子を産んで頂く事は出来ます故」

いっそ清々しい程に悪意の無い科白だった。


(……嗚呼、やっと本性が出て来た)

ぞわっと腹の中に明確な悪意が湧き、なぜだかカヤは怒りを通り越して笑ってしまいそうだった。

こういう男だ、ハヤセミは。
いつだって損得で動き、己の動きを妨げる人間には容赦しない。

(だからお前はミズノエを殺した)

あの心優しい少年が、何をしたと言うのだ。
あの太陽のような少年が、一体どんな贖罪を侵すと思ったのだ。

『生きて、琥珀』

綺麗な、綺麗な、飛び散った赤。
本当は一滴すら残さずに、嚥下してしまいたかった。

(それを、この男は、なんの躊躇も無く)

踏み締め、超えて行ったのだ。
その足が血だまりに向かって降りて行って、そして、そして――――


ビシャッ!
あの時と同じような湿った音がした。


「う、げほっ、げほ……!うぁ、ぁああ……ああ……」

弥依彦が再び胃の中の物を吐き出した音だった。

苦しみ続ける弥依彦は、もう意識が飛ぶ寸前のように見えた。

いっそ飛んでしまった方が楽だろう。
しかし襲い掛かる苦しみのため寸前の所で意識を失えず、際限の無い地獄の狭間に居るようだった。

「翠様、どうかお早くお願い致します」

弥依彦の体力の限界を感じ取ったのか、再度ハヤセミがそう言った。
翠は黙っている。

「っ翠様!」

そして二度目の催促の後、

「足りぬ」

翠の唇が、たった一言だけ落とした。


優しく包み込んでいた弥依彦の手をそっと放し、翠はゆっくりと立ち上がる。

「う、あ……す、い……」

哀れな指が、翠を追う。
必死に救済を求めるそれを、翠はもう救おうとはしなかった。

「私が嫁に行かない、と言う事だけで到底足りぬ」

――――沸々と、溢れんばかりに。
目の前の美しい人間は、身体中に逆鱗の炎を宿らせていた。