【完】絶えうるなら、琥珀の隙間

「弥依彦様!しっかりなさって下さい!」

ハヤセミの大声が、呆けかけていたカヤの意識に突き刺さってきた。

ハッとして弥依彦に視線を向ける。
部屋の中は、今や阿鼻叫喚と化していた。

弥依彦の苦痛に満ちた叫び声が響く中、砦の兵達はどうして良いのか分からないように、狼狽えながら走り回っている。

吐き気を催すような悪臭、恐慌したよう散る怒鳴り声、そして自らの嘔吐物の中で転げまわっている弥依彦―――本日1番の地獄にカヤは絶句した。


「クンリク様、もしや……」

唐突に耳に入ってきた自分の名前。
ハヤセミがこちらを静かに睨んでいた。

「弥依彦様に毒を盛ったのでありますまいな!?」

その口から飛び出てきたとんでもない言葉に、カヤはギョッとした。

「し、していません!そんな事していません!」

激しく首を横に振るが、確かに疑われるだけの材料が揃っていることは自分でも分かっていた。

心臓が嫌な音を立て始める。
部屋中の人間の視線が自分に刺さるのを感じた。

ハヤセミは疑わしげにカヤを一瞥し、暴れ回る弥依彦に向かって大声で問いかけた。

「弥依彦様!宴以外で何か口にされましたか!?クンリク様から何か食べ物を受け取ったりなどしませんでしたか!?」

誰もが弥依彦の声を聞こうと動きを止め、その瞬間騒がしかった部屋が静寂に包まれた。

「な、にも……何も、食べて、な……い……」

絞り出したような弥依彦の言葉は、まるで救いの言葉だった。

(よかった……)

胸を撫で下ろしたカヤとは反対に、予想が外れ為すすべのないハヤセミの眉が酷く歪んだ。

「くっ……おい、誰か!医務官を呼ぶのだ!何か薬を……」

「――――待て、ハヤセミ殿!」

ハヤセミの言葉を制したのは翠だった。

「この症状に薬は効かない。これは巫術によるものだ」

「どういう事ですか?」

説明を求めるハヤセミに、翠は神妙な面持ちで口を開く。

「言ったであろう。先ほど私達が飲み交わした酒は、魂を繋げるのだと。そして私達はその繋がりを尊んでいかねばならないのだと」

「繋がりを尊ぶ……まさかっ……」

ハヤセミの顔が勢いよくカヤを向いた。
衝撃を受けたように揺れる瞳が、カヤの頭のてっぺんからつま先まで視線を這わせる。

何かを察したようなハヤセミのその様子に、翠は「そうだ」頷く。

「契りが交わされているにも関わらず、弥依彦殿は私以外の女と不貞を働こうとした。その報いを受けているのだ。このままでは命が危ないぞ」

部屋中の誰もが、翠の言葉に衝撃を受けたようだった。

(そんな……こんな事になるなんて……)

翠を救うためにした事とは言え、きっかけは間違いなく自分だ。

弥依彦の事は、とてもじゃないが人間的に好きにはなれない。
しかし浅はかな己の考えのために、この男が死ぬなんて。

予想だにしていなかった展開に、カヤは身体中の血が凍り付いていくのを感じた。

「命が危ない……」

まるで反芻するかのように、ぽつりとハヤセミが言葉を落とす。

その呟きは、ひっきりなしに続く弥依彦の叫びを縫って、確かにカヤの耳にも届いた。