(絶対このまま嫁に行く気だ……)

嗚呼、何一つとして、彼の決意を改める事が出来なかった。


その事に一瞬、絶望しかけたカヤは、次の瞬間には勢いよく立ち上がっていた。

――――ドンッ!
去りかけていたその背中に体当たりして、腕を身体に巻き付ける。


「行かないで……お願い」

泣きそうになりながら囁いた。

無礼だろうがなんだろうが、もうなりふり構っていられない。
どんな手段を使ってでも翠を止めたかった。

「お願い、翠……」

ぎゅっ、と腕に力を込める。
しかし翠は、カヤの腕をそっと握ると、優しく引き剥がした。

心臓が凍り付く。

(拒否、された……)

柔らかな手つきだったとは言え、それはカヤの訴えを受け入れてくれる行為では無かった。

何をしても何を言っても届かない。
失意に侵されよろめいたカヤの瞳から、また涙が零れた。

「翠……」

もう、何の涙なのか自分でも良く分からない。
せっかく乾いていた頬が、またもや汚く濡れていくのを感じる事しか。

「あのさ、カヤ」

こちらに向き直った翠が、カヤの顔を覗き込む。

先ほどカヤを締め出したとは思えぬほど、その双眸は優しさを携えていて。
凍り付いていた心臓が、内側からじわりと熱を持つ。

「これからは、好きな時に好きなだけ泣け」

ぐしゃぐしゃになっているであろう眼尻を、そう言って拭ってくれた。

「でも一人じゃなくて誰かとな。約束だ」

温かな掌が両頬を包むから、涙腺が狂ってしまう。


『ね、もう一人で泣かないで。約束だよ」

かつてミズノエと結んだちっぽけな契りが、そっと上書きされていく。
頑なに閉じていた蓋が開いて、その中の何かが息を吹き返す。


(久しぶりに、私が私の中で呼吸をする)

ねえやっぱり、貴方のおかげで生きていける人が、たくさん居るはずだ。




「……おやすみ、カヤ」

ぽん、ぽんと。
いつものように頭を二度撫でて、翠は今度こそカヤに背を向けた。

入口の布を捲り外に出ていくその姿を、カヤは最後まで呆然と眺めていた。

「すまない、またせたな」

「いえ、とんでもございません。それで明日の祝言の事なのですが……」

「少し離れた所で話そう。カヤが眠っている」

翠の言葉に、外に居た人物達が部屋から離れて行く気配がした。

数人分の足音と、そして何かを話す声が遠のいていき、やがて全く聞こえなくなった。




「……翠」

ぽつん、と独りになった部屋で、カヤは鼻を啜った。

泣きすぎたせいで、頭の芯がじんじんと悲鳴を上げていた。

痛む頭のまま、カヤはゆっくり振り返る。
目に映るのは、寝台の隣にある窓。

小さいが、カヤ一人分が通れる大きさ程はある。


(……何をしてでも、翠を止めなきゃ)

確固たる意志が、沸々と燃え上がる。

(あの人は、あの国に必要だ)

ナツナとユタが贈ってくれた腰紐を、強く握りしめる。

あの二人だけでは無い。
カヤが顔も知らない数えきれない程の民が、翠を導きにしている。


"意志のあるところに、道は開く"

翠の言葉が、ぐるぐると何度も頭を巡る。



「……よし」

カヤは、意を決して踏み出した。