「翠に謝られる理由なんて無いよ」

翠はいつだって優しい。
まるで、死への道を知らずに歩んでいたミズノエのように。

「……でももし私を憐れんでくれるなら、一つだけお願い」

だから私は、その優しさに付け込むのだ。

「私をこの国に返して、翠は国へ帰って。帰りたいの、私」

卑怯な私の、卑怯な祈り。
それを卑怯な言葉に載せて、翠に投げつけた。

その終わりの言葉を初めて口にしたけれど、翠の表情は変わらなかった。

ただただ、寧静な視線をカヤに向けるのみ。
それに迎え撃つよう、カヤは瞬き一つしないよう耐えた。

「……カヤ」

静寂の中、名前を呼んだ翠の手が、すっと上がった。

ゆっくりゆっくりと、その綺麗な指がカヤに近づいてきて、そして――――


ビシィッ!
思いっきり額を弾かれた。



「っいったぁああ!?」

額に穴でも空いたかのような激痛に、カヤは寝台に倒れ込んだ。

「いったいぃ……な、何するの!?」

涙目になりながら翠を睨みつける。
が、カヤよりも先に、翠の方がこちらを睨みつけていた。

「……あのなあ」

呆れたように息を吐いて、翠が親指でカヤの眉尻を、ぐっと押した。

ちょ、痛い痛い。
押さないで。

「眉毛」

「え、え?」

「眉毛、下がってる」

目の前の翠が何を言っているのか分からず、一瞬呆ける。
しかし次の瞬間には、ハッと昨夜の会話を思い出した。

"カヤ、嘘付くとき眉毛下がるんだな"

そう翠に笑われた事を。


その瞬間、カヤは飛び起きて、慌てて訴えかけた。

「いやいや、嘘じゃないから!本心ですから!」

「あーうん、カヤの気持ちは良く分かったよ」

「き、聞いてる!?」

「聞いてはいる」

いつかしたのと似たような会話を交わしながら、翠は優雅に立ち上がった。

説得が失敗した事を悟ったカヤが、翠の衣を引っ掴もうとした時だった。


「――――……翠様、翠様。よろしいでしょうか」

部屋の入口から、聴き慣れない声がした。


手を伸ばしかけていたカヤは動きを止め、そして翠はピクリと入口の方へ神経を集中させた。

部屋の入口を完全に覆っている布の向こう側に、何人かの気配を感じる。

「どなただろうか」

「失礼いたしました。私、砦の者ですが、翠様の弟君がお会いになられたいと……」

翠の問いかけに、その声の持ち主は控えめに言った。
そして、次に聞こえて来たのは、カヤにとっても翠にとっても聞き覚えのある声だった。

「翠様。お休み中に申し訳ありません。明日の祝言のお打合せを少々させて頂きたく」

紛れもなくタケルの声だ。
カヤも翠も、肩の緊張を解いた。

「しばし待て。今行く」

そう声を掛け、翠は未だに寝台に座り込んでいるカヤを振り返った。

「カヤ。明日の朝まで、この部屋で大人しくしていてくれ」

「え……」

小声でそう言い、翠はカヤに背を向けて離れて行く。