「まさか、目の前で見たのか……?」
翠が固い声でそう問いかけてきた。
小さく頷くと、翠は絶句したように息を吐いた。
「カヤ……」
気づかわし気に自分の名を呼ぶ翠の顔は、酷く歪んでいて。
それを眼にした瞬間、カヤは焦って口を開いた。
「って言っても、その時の事はあんまり覚えてないの。だから割と大丈夫」
"大丈夫"かどうかはさておき、その出来事の大部分が白い膜で覆われたかのように薄ばんでいるのは本当の事だった。
しかし翠の表情は痛々しく歪んだまま、戻らない。
そんな顔、一秒でもしてほしくないのだが。
「だからと言って、そんな事なかなか忘れられないだろ……?」
「うーん……それが、その後どうも私、会話とか食事が出来なくなったみたいで。そのおかげで、その時期の記憶が曖昧なんだよね」
なるべく、なんてこと無いような事を話しているかのように努める。
こんな声色?こんな表情?
どうすれば、いつも通りの自分に見える?
「見事に全然喋れなかったみたいでさ。でも、かか様の後に私のお世話をしてくれた男の子が居て、その子のおかげで話せるようになったんだ。今じゃこの通りです」
おどけるように両手を広げて見せる。
声が上ずったが、それを無視して、カヤは言葉を続けた。
「で、その男の子は"ミズノエ"って言う子でね、ハヤセミの弟だったの。この砦に私が来た時からずっと遊び相手になっててくれてて、かか様が死んでからは、私のお世話役になってくれてね」
ハヤセミの家系は代々この国の王に仕える一族だった。
先代の王にはハヤセミの父が、そして今の王である弥依彦にはハヤセミが付いている。
そのハヤセミの弟であるミズノエもまた、家族ともどもこの砦の中で暮らしていた。
何を考えているのか全く分からないハヤセミの弟は思えない程に、いつもニコニコと笑っている太陽のような男の子だった。
「砦の人は誰も私に無駄に話しかけてこないのに、ミズノエだけは違った」
村の友達とも離れ離れになってしまい、大人だけの世界に放り込まれて。
そんな孤独の中、友達としてカヤの遊び相手になってくれたミズノエの存在は、とても大きかった。
「かか様が死んで、本当に一人ぼっちになったけど、ミズノエのお陰でここで生活出来たの」
そう言えば、彼と指切りをしたのも、この部屋の、この寝台の上だった。
カヤは目を細めながら、自らが座る寝台をそっと撫でる。
「……本当に本当に優しくて。私が"外に出たい"なんて、なんとなく呟いた言葉を本気にするような子だった」
――――そう。心優しい、あの頃のカヤの唯一の友達だった。
今でも感触が刻まれている。
涙を拭ってくれる指は、いつもか細くて、短かった。
『知ってる?北の崖では、金色の宝石が採れるんだって』
きっとその瞳みたいだよ、って。
きっととても綺麗だよ、って。
優しい彼は、砦の中に縛り付けられている自分に、色々な事を教えてくれた。
『ねえ、今の名前が嫌なら、僕が新しい名前をあげるよ』
"カヤ"と呼ばれる事は許されず。
"クンリク"と呼ばれる事も限界になった日。
優しい彼は、どちらでも無い名前をくれた。
『ごめんね、太陽は見せてあげられないけど、代わりにこれ、あげる』
カヤが呟いた、たった一言のために。
あんなの、ただの独り言のようなものだったのに。
優しい彼は、一生懸命に考えて、一生懸命に行動してくれた。
『ね、もう一人で泣かないで。約束だよ――――"琥珀"」
ちっぽけすぎる世界で、ちっぽけすぎる契りを結んだ。
優しい彼は、私に宝石の名を与えたくれた。
「……そのミズノエって言う子は、今もこの砦に?」
翠が静かに口を開いた。
「ううん。居ない」
カヤは首を横に振った。
そうして、ぽつりと言葉を吐いた。
「殺されたの。ハヤセミに」
優しい彼は、もうこの世界の何処にも。
翠が固い声でそう問いかけてきた。
小さく頷くと、翠は絶句したように息を吐いた。
「カヤ……」
気づかわし気に自分の名を呼ぶ翠の顔は、酷く歪んでいて。
それを眼にした瞬間、カヤは焦って口を開いた。
「って言っても、その時の事はあんまり覚えてないの。だから割と大丈夫」
"大丈夫"かどうかはさておき、その出来事の大部分が白い膜で覆われたかのように薄ばんでいるのは本当の事だった。
しかし翠の表情は痛々しく歪んだまま、戻らない。
そんな顔、一秒でもしてほしくないのだが。
「だからと言って、そんな事なかなか忘れられないだろ……?」
「うーん……それが、その後どうも私、会話とか食事が出来なくなったみたいで。そのおかげで、その時期の記憶が曖昧なんだよね」
なるべく、なんてこと無いような事を話しているかのように努める。
こんな声色?こんな表情?
どうすれば、いつも通りの自分に見える?
「見事に全然喋れなかったみたいでさ。でも、かか様の後に私のお世話をしてくれた男の子が居て、その子のおかげで話せるようになったんだ。今じゃこの通りです」
おどけるように両手を広げて見せる。
声が上ずったが、それを無視して、カヤは言葉を続けた。
「で、その男の子は"ミズノエ"って言う子でね、ハヤセミの弟だったの。この砦に私が来た時からずっと遊び相手になっててくれてて、かか様が死んでからは、私のお世話役になってくれてね」
ハヤセミの家系は代々この国の王に仕える一族だった。
先代の王にはハヤセミの父が、そして今の王である弥依彦にはハヤセミが付いている。
そのハヤセミの弟であるミズノエもまた、家族ともどもこの砦の中で暮らしていた。
何を考えているのか全く分からないハヤセミの弟は思えない程に、いつもニコニコと笑っている太陽のような男の子だった。
「砦の人は誰も私に無駄に話しかけてこないのに、ミズノエだけは違った」
村の友達とも離れ離れになってしまい、大人だけの世界に放り込まれて。
そんな孤独の中、友達としてカヤの遊び相手になってくれたミズノエの存在は、とても大きかった。
「かか様が死んで、本当に一人ぼっちになったけど、ミズノエのお陰でここで生活出来たの」
そう言えば、彼と指切りをしたのも、この部屋の、この寝台の上だった。
カヤは目を細めながら、自らが座る寝台をそっと撫でる。
「……本当に本当に優しくて。私が"外に出たい"なんて、なんとなく呟いた言葉を本気にするような子だった」
――――そう。心優しい、あの頃のカヤの唯一の友達だった。
今でも感触が刻まれている。
涙を拭ってくれる指は、いつもか細くて、短かった。
『知ってる?北の崖では、金色の宝石が採れるんだって』
きっとその瞳みたいだよ、って。
きっととても綺麗だよ、って。
優しい彼は、砦の中に縛り付けられている自分に、色々な事を教えてくれた。
『ねえ、今の名前が嫌なら、僕が新しい名前をあげるよ』
"カヤ"と呼ばれる事は許されず。
"クンリク"と呼ばれる事も限界になった日。
優しい彼は、どちらでも無い名前をくれた。
『ごめんね、太陽は見せてあげられないけど、代わりにこれ、あげる』
カヤが呟いた、たった一言のために。
あんなの、ただの独り言のようなものだったのに。
優しい彼は、一生懸命に考えて、一生懸命に行動してくれた。
『ね、もう一人で泣かないで。約束だよ――――"琥珀"」
ちっぽけすぎる世界で、ちっぽけすぎる契りを結んだ。
優しい彼は、私に宝石の名を与えたくれた。
「……そのミズノエって言う子は、今もこの砦に?」
翠が静かに口を開いた。
「ううん。居ない」
カヤは首を横に振った。
そうして、ぽつりと言葉を吐いた。
「殺されたの。ハヤセミに」
優しい彼は、もうこの世界の何処にも。
