「翠様っ!何をなさるんですかっ!?」

ハヤセミが叫びながら立ち上がる。
その顔は、今まで見た中で一番と言っていいほど動揺に満ちていた。


「これで、この者は『神の娘』ではなくなった」

凛とした翠の声が、響き渡る。

のろのろと顔を上げると、護身用の剣を抜き身にして手にしている翠が見えた。
その眼はカヤを通り過ぎ、真っすぐにハヤセミ達に向けられている。

「実を言えば、ハヤセミ殿が参られる以前から、私はこの娘が自国を脅かす存在だとお告げで知っていてね。そのため敢えて手元に置き、留めておいた。そちらに返すのは都合が悪かったのでな」

ぐわんぐわんと揺れる頭では、翠の言葉をうまく処理しきれない。
混乱して立ち尽くすカヤの後方で、ハヤセミが狼狽えるように言った。

「だ、だからと言ってなぜ髪をっ?一度でも髪を切ってしまえば、クンリク様は、もう神の娘では……」

「そうだ。だから切ったのだ」

翠がハヤセミの言葉を遮った。


「私が嫁に入るのだから、この娘は必要なかろう?神の使いは二人も要らぬ」


しん、とした静寂が満ちた。

嫁に入る。
その言葉を数回ほど反芻し、そしてやっと理解したカヤは驚愕のあまり言葉を失った。

「……え?」

口から出て来たのは、言葉になっていない疑問の声だった。

「よ、嫁に……いらっしゃるのですか?貴女が?本当に?」

信じがたい、とでも言うようなハヤセミの声に翠がしっかりと頷いた。
次の瞬間、弥依彦が歓喜の声を上げた。

「やったぞ!そうだ、お前は僕の嫁に来るのが相応しい!」

小躍りせんばかりのその様子を、カヤも、そしてハヤセミでさえも、呆けたまま見つめるしか出来ない。


「弥依彦殿」

そんな弥依彦に、翠が声を掛けた。

「なんだ?」

「但し、条件が一つあるのだが」

「条件?なんだ、言ってみろ」

翠は、薄く微笑んだ。
我儘な子供を見下すような、残酷で優しい笑み。


「神官は純潔である必要があるのだ。力を失ってしまうのでな」

その言葉の意味を、弥依彦は勿論、カヤも理解出来なかった。

「……純潔?分からん、どういう意味だ?」

「私と弥依彦殿の間では子を成せないという事だ」

そこまで聞いて、やっと分かった。
翠は自分が男だと今後露見しないように、今ここで釘を刺しているのだと。


(……と言う事は、本気で嫁に入るつもりなのか?)

心底ぞっとした。
今すぐにも翠の肩を揺さぶって撤回させたいのに、この場では不可能だった。