翠は小さく息を吐くと、決心したように顔を上げた。
「ハヤセミ殿。一つ提案なのだが」
「なんでございましょう?」
「現在、我が国では水路建設を計画している。この国との国境付近の水路もこちら負担で建設すると言うのはどうだろうか」
「水路、でございますか」
固い声で言ったハヤセミに、翠が頷く。
「ああ。今あの辺りは一切整備されていない。一から始めるのはかなりの費用が必要だろう。それを全てこちらが請け負おう」
そう翠が言い終わっても、ハヤセミは表情を変えなかった。
まるで本心を探るかのように、黙って翠を見つめるのみ。
カヤは固唾を呑んでハヤセミの返答を待った。
翠の意見を跳ね付けるか、それとも許容するか。
しかし、暫ししてハヤセミが口にしたのは予想もしない科白だった。
「……その水路も、安心して口に出来る水が流れてこなければ無意味ですがね」
淡々とした声は、奇妙な程に抑揚が無かった。
「どういう意味だ」
翠が厳しく眼を細める。
「翠様。川の上流がどちらにあるのかをお忘れですか?」
ふっ、と。
ハヤセミが嘲るように笑った。
その瞬間に気が付く。
川の上流は、弥依彦の国側だ。
もしも上流側で川に何か毒になるようなものを流されたら?
もしも川を完全にせき止められてしまえば?
農業を生業にしている翠の国は、きっと―――――
「貴様!なんと卑怯な!」
隣のタケルが、堪えきれないように立ち上がって叫んだ。
怒りでわなわなと震えている。
「卑怯?はて、それはどちらの事でございましょう?」
ハヤセミが肩を竦める。
「なにぃ!?」
「タケルッ!やめなさい!」
今にも飛びかからんばかりのタケルに、翠が声を上げた。
タケルは青筋を浮かべながら、ゆっくりと腰を下ろす。
しかしその眼はハヤセミを射殺さんばかりに鋭い。
「翠様、せっかくの申し出でございますが」
癪なほど冷静にハヤセミが口を開いた。
「水路の建設は不要でございます。我々は田畑で生計を立ててはおりませんので、今ある井戸のみで十分に生活が出来ます」
ばっさりと翠の建言を切り捨て、そしじろりと蛇のような瞳でこちらを見つめる。
「最後にもう一度だけ確認致します。クンリク様も帰さないし、貴女様も嫁には来られないという事でございますね」
まるで脅しとも取れる発言だ。
翠は黙っている。
「よろしいのですね?」
一言一言はっきりと、ハヤセミがそう最終勧告した。
翠は口を噤んだままハヤセミを見据える。
その険しい横顔を目にし、カヤは悟った。
――――嗚呼、いくら翠と言えども、もうこれ以上は無理だ。
「私が戻ります」
言葉が口を突いて飛び出してきた。
カヤがそう言った瞬間、ハヤセミの口角がにやりと上がった。
「……ほう。誠でございますか、クンリク様」
「ええ。戻ります」
短くそう言って、カヤは立ち上がる。
隣のタケルが唖然としたような表情でカヤを見上げた。
「ハヤセミ殿。一つ提案なのだが」
「なんでございましょう?」
「現在、我が国では水路建設を計画している。この国との国境付近の水路もこちら負担で建設すると言うのはどうだろうか」
「水路、でございますか」
固い声で言ったハヤセミに、翠が頷く。
「ああ。今あの辺りは一切整備されていない。一から始めるのはかなりの費用が必要だろう。それを全てこちらが請け負おう」
そう翠が言い終わっても、ハヤセミは表情を変えなかった。
まるで本心を探るかのように、黙って翠を見つめるのみ。
カヤは固唾を呑んでハヤセミの返答を待った。
翠の意見を跳ね付けるか、それとも許容するか。
しかし、暫ししてハヤセミが口にしたのは予想もしない科白だった。
「……その水路も、安心して口に出来る水が流れてこなければ無意味ですがね」
淡々とした声は、奇妙な程に抑揚が無かった。
「どういう意味だ」
翠が厳しく眼を細める。
「翠様。川の上流がどちらにあるのかをお忘れですか?」
ふっ、と。
ハヤセミが嘲るように笑った。
その瞬間に気が付く。
川の上流は、弥依彦の国側だ。
もしも上流側で川に何か毒になるようなものを流されたら?
もしも川を完全にせき止められてしまえば?
農業を生業にしている翠の国は、きっと―――――
「貴様!なんと卑怯な!」
隣のタケルが、堪えきれないように立ち上がって叫んだ。
怒りでわなわなと震えている。
「卑怯?はて、それはどちらの事でございましょう?」
ハヤセミが肩を竦める。
「なにぃ!?」
「タケルッ!やめなさい!」
今にも飛びかからんばかりのタケルに、翠が声を上げた。
タケルは青筋を浮かべながら、ゆっくりと腰を下ろす。
しかしその眼はハヤセミを射殺さんばかりに鋭い。
「翠様、せっかくの申し出でございますが」
癪なほど冷静にハヤセミが口を開いた。
「水路の建設は不要でございます。我々は田畑で生計を立ててはおりませんので、今ある井戸のみで十分に生活が出来ます」
ばっさりと翠の建言を切り捨て、そしじろりと蛇のような瞳でこちらを見つめる。
「最後にもう一度だけ確認致します。クンリク様も帰さないし、貴女様も嫁には来られないという事でございますね」
まるで脅しとも取れる発言だ。
翠は黙っている。
「よろしいのですね?」
一言一言はっきりと、ハヤセミがそう最終勧告した。
翠は口を噤んだままハヤセミを見据える。
その険しい横顔を目にし、カヤは悟った。
――――嗚呼、いくら翠と言えども、もうこれ以上は無理だ。
「私が戻ります」
言葉が口を突いて飛び出してきた。
カヤがそう言った瞬間、ハヤセミの口角がにやりと上がった。
「……ほう。誠でございますか、クンリク様」
「ええ。戻ります」
短くそう言って、カヤは立ち上がる。
隣のタケルが唖然としたような表情でカヤを見上げた。
