「ふーん……」

礼儀を知らない幼子のように翠をじっくり見まわした後、弥依彦はパッと顔を輝かせた。

「気に入ったぞ!おい、ハヤセミ!僕はこれが欲しい!嫁にしろ!」

場の空気が、明らかに凍った。


(翠を『これ』呼ばわりするなんて……)

弥依彦の性格を知っているカヤでさえ、くらくらした。

失礼な態度を取るであろうと予想はしていたが、まさかここまでの発言をするとは。


「弥依彦様。翠様は本日、クンリク様の事を話し合うためお越しになられたのですよ」

横暴な態度にも慣れた様子でそう説明したハヤセミに、弥依彦が眉を寄せた。

「クンリク……?」

分厚い瞼のせいで更に悪くなった目つきが、じろりとカヤに向けられる。

ぞくり。
えも言えぬ不快感が全身を駆け巡った。

「なんだお前、生きていたのか」

不機嫌そうに吐き捨てられ、そして丸々に太った指が、にゅっとカヤに伸びて来た。
次の瞬間、頭皮に千切れるような痛みが走る。

「いっ……!」

前髪を思いっきり鷲掴みにされた。

「お前っ、よくも、逃げてくれたな!このっ、役立たず!」

一言一言ごとに乱暴に揺さぶられ、カヤは弥依彦の腕を掴んで必死に逃れようとする。

しかしそれどころか弥依彦の指は力は強まるばかり。

抵抗する間にも、ぶちぶちと髪の毛が抜ける音がした。
あまりの痛みに悲鳴が上がりそうになる。

「誰がお前を生かしてやったと思ってるんだ!恩知らずが!」

耳元でそう叫ばれると同時、前髪がパッと離された。

解放された、と思った瞬間に、次は弥依彦の平手打ちが飛んできた。
パァン!と左頬に衝撃が走り、身体ごと吹っ飛ばされたカヤを、翠が間一髪受け止めてくれた。

「カヤ!」

珍しく翠が焦った様な声を出した。
よっぽど今の光景が酷かったのだろう。

じんじんと痛む頭皮と頬を手で抑えながら、カヤは「大丈夫です」と言って翠の腕から離れた。

髪を掴んでくるのも、頬を平手打ちしてくるのも、弥依彦の常套手段だった。

しかもそれはカヤにだけではない。
気に入らない事があると、この男は誰でも彼でも砦の者に暴力をふるうのだ。

かつてカヤは翠に、この国の事を"普通の民からすると割と良い国"だと言った。

その時、翠は"治める者が優秀なんだな"と言ったが、その言葉に素直に頷けなかった理由が正にこれだった。

こんな馬鹿が王に就いていて、それでもこの国が成り立っている理由はただ一つ。

「弥依彦様、このような場ではお止め下さい」

窘めるようにそう言ったハヤセミの存在だ。

奇しくも、弥依彦の下に付く部下たちはハヤセミを含めて優秀な者ばかりなのだ。

王の無能さを国民に感じさせないほどの手腕の持ち主が多かった。

本当に、血筋と言うものは残酷だ。
この駄々っ子のような弥依彦でさえ、前王の子供として産まれたおかげで、王の座に就けてしまうのだから。