次の日の、まだ太陽が昇る前の薄暗い中、屋敷の前ではたくさんの人間が動き回っていた。
馬の準備をしたり、旅に必要な荷物を積んだり、早朝だと言うのに屋敷の者達が総出で準備に当たっている。
翠とタケルは、何やら地図を見ながら話し合っているようだ。
ハヤセミ達はと言うと、少し離れた所で既に馬に跨り、不気味なほど大人しくその様子を見つめていた。
準備に追われる屋敷の人達は、隅っこにひっそりと佇むカヤに眼を向ける事も無く目の前を通過していく。
袋叩きになっても可笑しくないような状況にも関わらず、そうならないのはどうやら昨日、あの謁見の間に居た者達には緘口令が敷かれたためらしかった。
カヤが隣国の者だったと言う事はあの場に居た人間しか知らず、いきなりの旅立ちも表向きはただの外交だと伝わっているらしい。
そのためありがたい事に、今のところカヤはまだ、無事に立っていられた。
かと言って、心が晴れているわけでも、体調が良いわけでも無い。
どちらかと言えば昨夜一睡も出来なかったのと、ひっきりなしに襲い掛かる不安のせいで、お腹のあたりで強い不快感が蠢いていた。
「ああ、カヤ!丁度良いところに!」
ふと呼ばれ、のろのろと顔を上げる。
そこには朝とは思えない程にはつらつとした表情のクシニナが立っていた。
「あっ……おはようございます」
背筋を少し伸ばして挨拶をする。
祭事の前日に器の件で話をして以来、クシニナは屋敷内で顔を合わせれば声を掛けてくれるようになっていた。
「悪いんだけどさあ、これ持って行ってくれないか?後で翠様にお渡ししてほしいんだよ。今お忙しそうだから声かけられなくってね」
そう言ってクシニナが差し出してきたのは、大き目の皮袋だった。
「あ、はい」
その皮袋を受け取ると、思ったよりもずっしりとした重量感があった。
「果物だから、なるべく傷つかないように頼むよ」
「分かりました」
頷きながら、チラリと袋の中身に視線を落とす。
そこから見えた果実の形に何やら見覚えがあった。
「……あれ?これ……」
思わず袋の口を少しだけ開くと、クシニナが意外そうな声を上げた。
「チカータを知っているのかい?」
「チカータ……?って言うんですか、これ?」
言いながら、そっと一粒だけその果実を取り出す。
「それ、かなり珍しいんだよ。偶然取り寄せたのが、丁度一昨日あたしに届いてねえ」
それは、紛れもなく祭事の日にナツナと一緒に露店で買ったあの果実だった。
僅かな酸味と、そして感動するほどの甘さとみずみずしさを持った、とても美味しい果実だ。
ただ、袋の中のチカータは鮮やかな赤では無く、緑色だった。
どうやらまだ熟れていないようだ。
熟れているものと比べると、まだ少し固そうだし、甘くなさそうに見える。
「これ、まだ熟してないですよね?」
「そうなんだよ」
カヤの疑問に、クシニナも深く頷く。
「昨晩、献上する果物を選定しに翠様がじきじきに台所においでになってね。その時、この熟れてないチカータを別で欲しいって仰ったんだよ」
「翠様が……?」
「そう。熟れてないのがお好きなんだって。苦くて食べれたもんじゃないんだけどねえ」
不思議そうに首を捻ったクシニナは「ま、とりあえず頼んだよ」と言った。
カヤが大きく頷くと、相変わらずカサカサした手で頭を豪快に撫でてくれた。
「気を付けて行ってきな」
笑ってそう言ったクシニナの手は、すぐに離れて行ってしまう。
そして彼女は足早に去っていった。
馬の準備をしたり、旅に必要な荷物を積んだり、早朝だと言うのに屋敷の者達が総出で準備に当たっている。
翠とタケルは、何やら地図を見ながら話し合っているようだ。
ハヤセミ達はと言うと、少し離れた所で既に馬に跨り、不気味なほど大人しくその様子を見つめていた。
準備に追われる屋敷の人達は、隅っこにひっそりと佇むカヤに眼を向ける事も無く目の前を通過していく。
袋叩きになっても可笑しくないような状況にも関わらず、そうならないのはどうやら昨日、あの謁見の間に居た者達には緘口令が敷かれたためらしかった。
カヤが隣国の者だったと言う事はあの場に居た人間しか知らず、いきなりの旅立ちも表向きはただの外交だと伝わっているらしい。
そのためありがたい事に、今のところカヤはまだ、無事に立っていられた。
かと言って、心が晴れているわけでも、体調が良いわけでも無い。
どちらかと言えば昨夜一睡も出来なかったのと、ひっきりなしに襲い掛かる不安のせいで、お腹のあたりで強い不快感が蠢いていた。
「ああ、カヤ!丁度良いところに!」
ふと呼ばれ、のろのろと顔を上げる。
そこには朝とは思えない程にはつらつとした表情のクシニナが立っていた。
「あっ……おはようございます」
背筋を少し伸ばして挨拶をする。
祭事の前日に器の件で話をして以来、クシニナは屋敷内で顔を合わせれば声を掛けてくれるようになっていた。
「悪いんだけどさあ、これ持って行ってくれないか?後で翠様にお渡ししてほしいんだよ。今お忙しそうだから声かけられなくってね」
そう言ってクシニナが差し出してきたのは、大き目の皮袋だった。
「あ、はい」
その皮袋を受け取ると、思ったよりもずっしりとした重量感があった。
「果物だから、なるべく傷つかないように頼むよ」
「分かりました」
頷きながら、チラリと袋の中身に視線を落とす。
そこから見えた果実の形に何やら見覚えがあった。
「……あれ?これ……」
思わず袋の口を少しだけ開くと、クシニナが意外そうな声を上げた。
「チカータを知っているのかい?」
「チカータ……?って言うんですか、これ?」
言いながら、そっと一粒だけその果実を取り出す。
「それ、かなり珍しいんだよ。偶然取り寄せたのが、丁度一昨日あたしに届いてねえ」
それは、紛れもなく祭事の日にナツナと一緒に露店で買ったあの果実だった。
僅かな酸味と、そして感動するほどの甘さとみずみずしさを持った、とても美味しい果実だ。
ただ、袋の中のチカータは鮮やかな赤では無く、緑色だった。
どうやらまだ熟れていないようだ。
熟れているものと比べると、まだ少し固そうだし、甘くなさそうに見える。
「これ、まだ熟してないですよね?」
「そうなんだよ」
カヤの疑問に、クシニナも深く頷く。
「昨晩、献上する果物を選定しに翠様がじきじきに台所においでになってね。その時、この熟れてないチカータを別で欲しいって仰ったんだよ」
「翠様が……?」
「そう。熟れてないのがお好きなんだって。苦くて食べれたもんじゃないんだけどねえ」
不思議そうに首を捻ったクシニナは「ま、とりあえず頼んだよ」と言った。
カヤが大きく頷くと、相変わらずカサカサした手で頭を豪快に撫でてくれた。
「気を付けて行ってきな」
笑ってそう言ったクシニナの手は、すぐに離れて行ってしまう。
そして彼女は足早に去っていった。