保育園に通っているころ、律歌もやったことがあった。母親からはほほえましいと放っておかれたが、当時は真剣だった。片時も離すまいと、登園時もこっそりポケットに忍ばせて持ち歩いた。つぶさないように、そうっと。しかし、給食時に他の園児にばれてしまい、騒ぎになった。知恵のある男子に「親のにわとりから離してスーパーに並べちゃったんだぞ、温めたってもうヒナになるわけないだろ、そんなことも知らないのか」と笑われたのを発端に、他の園児からも冷笑を浴びせられた。保育園に持ってくるというリスクを冒してまで必死に温め続けたのだ。なんだ、そうか、とがっかりした気分と、悔しく恥ずかしい気持ちがないまぜになって、その頃の律歌はこれ見よがしにコップに卵を割ってかき混ぜ、たまごかけごはんにして自慢げに給食を食べることで無理やりプライドを守ったのだが、やはり先生には「そんなもの保育園に持ってきちゃだめでしょう!」と叱られた。

 そんな苦い記憶を思い返して「そんなことしても、無駄じゃないの?」と律歌が言うと、北寺は一つ頷いて、

「うん、まあ基本的にはね。でも、保温するまでは成長が開始しないんだ。だからスーパーに置いてあっても数日は生存が可能なんだよ」

 そう教えてくれた。

「有精卵を温めれば、ヒナが孵るよ。あ、無精卵じゃだめだよ。スーパーで売ってるにわとりの卵は無精卵だね。でも、隣に並んでいるうずらの卵なら、結構な確率で有精卵が混じってるんだ」

 話によると、うずらはにわとりと違ってオスとメスの判別が難しく、飼育の際にメスの中にオスが混じってしまうため有精卵がうっかり生まれてしまうらしい。

 あんなに馬鹿にしてきた男子園児も、まさかそこまでは知らなかったのだろう。

「もっと早く、知りたかったな」
「え?」
「もっと、二十年くらい前に」

 そんなことを教えてくれる友達はもちろん、親も先生も、律歌の傍にはいなかった。