遂に、忘れ去られてしまった――

頭の中は真っ白になり、想定したことであれどそれが実際に起きてしまうと何も考えられなくなるんだな、とどこか冷めた気持ちにもなっていた。


「雪男?どうし……ああ朧、起きたんだね。おはよう」


「て、天満兄様…!この…この方はどなたなんですか?起きたら居て…」


「…え?」


「…天満、ちょっと話がある」


明らかに氷雨を警戒している朧の様子に天満の透き通った美貌が翳り、明らかに疲労感に襲われた感の氷雨の後を追って廊下に出た天満は、事の経緯を聞いて片手で口元を覆った。


「そんな…雪男のことを忘れた…?」


「事実だ。今まで何度もあったけど、すぐ思い出してくれてた。だけど今回は…違うな。俺のことだけ、完全に忘れてる」


「あの小さい子のせいってこと?そんなことが可能なの?」


「朧が衰弱していってるのも記憶が曖昧なのも、全部望の仕業なんだ。…本人は分かってやってるのか分からない。だけど…覚悟してたけど、つらいもんだな」


氷雨が壁にもたれ掛かって俯くとその表情が前髪に隠れて分からなくなり、必死に言葉を探していた天満は、玄関の戸が開く音がしてそちらに目を遣った。


「朔兄、お帰りなさい。ちょっと大変なことになってて…」


――氷雨の様子にすぐぴんと来た朔は、無言で玄関から上がって氷雨の前に立つと、その肩に手を置いた。


「お前たちは次から次に災難が訪れるな」


「…や、本当にそうだな。俺もう…朧に触れられないな。心も離れちまっただろうから」


「何度も惚れてもらえばいい。お前もそう覚悟をしていた。だから、何も変わらない」


あっけらかんとした朔の言葉に思わずふっと笑みが滲んだ氷雨は、顔を上げて息をついた。


「俺は普段通りにやる。それしか…今はできない」


「それでいい。絶対に朧を諦めるな」


…諦めるものか。

心から愛した女を、こんなことで――諦めるものか。