立ち上がった十六夜は素早かった。

愛刀だった天叢雲は朔に譲渡したため隠居してから蔵で選んだ名無しの刀を掴んで誰も止められない速さで朧の元に向かっていた。


「先代!先代、待てって!」


「あれが死ねば全て解決する」


今も現役と言って差し支えない力を保持している十六夜の妖気を浴び続けている刀は不気味な光を放ち、追い縋る氷雨を振り切って部屋へ突入した。


「父様…?」


強い殺気を放っている父を見た朧は、今から何が起きようとしているのか瞬時に悟って起き上がろうとした。

だが高熱で身体が自由に動かず、鞘を投げ捨てて刀身を晒した十六夜の無慈悲で冷酷な表情に戦慄を覚えた。


「父様…やめて、お願い…っ!」


「…お前はこれに憑かれている。このままではお前が死んでしまう」


ようやく追いついた氷雨は、なんとか起き上がろうとしている朧と、望の襟首を掴んで持ち上げて喉元に刀を突きつけている十六夜を見て息が止まりそうになった。


「氷雨さん…っ、父様を、止めて!」


――一瞬、逡巡した。

このまま望が死んでくれれば朧は元気になるだろうし、元通りの日常生活が戻ってくる。

だが朧の秀麗な美貌は涙に濡れていて、恐怖に身体を震わせていた。


「先代、やめてくれ」


「…何故止める?お前…俺の娘を殺す気か?」


怒気を孕んだ殺気を直に浴びてもなお氷雨は怯まず、とうとう泣きじゃくりはじめた朧を優しい声色で励ました。


「大丈夫だから泣くなって」


「何が大丈夫なんだ?記憶も徐々に薄れてお前を忘れてしまうかもしれないのに」


胸が軋んだ。

朧は望に憑かれている――

それは取り憑かれているのと同じことで、朧は望に執着し、望は朧に執着するという依存関係に陥っていた。

それでも――


「…俺が何とかする。だから望むから手を離してくれ」


十六夜の手を素手で掴んだ。

焼けるような痛みが走ったが、それは十六夜も同じで、ぱきぱきと音を立てて凍ってゆく手首を冷静に見下ろしてゆっくり手を離した。


「どうするつもりだ」


「これから考える。絶対に朧を助ける方法を…」


考えなければ。

最愛の妻を失わないために。