わたし、BL声優になりました


 ──緑川の自宅マンションのリビング。

「うん。完璧」

「…………本当にこれで行くんですか」

「当たり前でしょ。僕の努力を無駄にするなんてことは許さないから」

 緑川が用意したシンプルなデザインのネイビーワンピースに、袖を通したゆらぎは戸惑いを隠せないでいた。

 スカートの類いは、今までの人生の中で数える程しか着たことがない。ましてや、ワンピースという女性らしさが溢れる洋服は、数回着たことがある程度だ。

 この上ない、羞恥心に駆られる。
 
 本当に似合っているのだろうか。
 お世辞を言っているようにしか聞こえない。

 それに、生地の触り心地の良さからするに、もしかしなくても高級ブランドの物だ。

 これは、レンタル料金を訊ねるべきだろうか。

 そんな些末なことを考えている内に、約束の時間は刻々と迫っていた。時計を見る限り、約一時間弱しか残されていない。

 ここまで来て、衣装まで用意されて、今さら逃げ出す訳にもいかない。

 静かに深呼吸をして、ゆらぎは覚悟を口にした。

「……分かりました。行きます」

「んー。にしても、正直に言うと黒瀬に会わせるのは少し惜しいな」

「は?」

 俯いていた顔を上げると、緑川が真面目な表情で思案していた。

「やっぱり、あの時、僕の彼女ってことにしとくべきだったかな」

「こんな時まで冗談言うのやめて下さい。本当に怒りますよ」

 緊張を和らげようとしてくれているのか、それとも単にからかっているだけなのか。ゆらぎには、その判断がつかなかった。

「……本気なんだけど」

「何か言いました?」

「いや、何も。さあ、時間も無いし向かおうか、黒瀬が待つレストランへ」

 ゆらぎが怒りを露にすると、緑川は小さく呟き、先ほどの言葉を誤魔化した。


 指定されたレストランへタクシーで向かう車内の隣の席には、何故か緑川が座っていた。

「なんで、付いて来てるんですか」

 表情を歪めて、迷惑だと意思表示するも、緑川には何の効果もないらしい。

「君が失恋した時に慰め役が必要かなって」

 余裕綽々とした緑川の態度に呆れ、ゆらぎは無視を決め込んだ。

 タクシーの窓から流れる景色を眺める。
 
 様々な店の灯りで彩られた夜の街並みは、ゆらぎの瞳に目映く映った。

 『シライ』の正体に、本当は気づいて欲しいのか。気づいて欲しくないのか。

 自分の心境は複雑な感情で、酷く入り乱れていた。