わたし、BL声優になりました

 無事に事務所内の寮へと、引っ越しを終えた数日後のこと。

 ゆらぎは、午後から事務室へ来て欲しいと赤坂から連絡を受けて、出掛ける為の準備をしていた。

 外出をする前に室内を見渡す。

 引っ越しの際にボロアパートから持ち出した私物は、必要最低限の物ばかりで、無駄な物は殆ど無く、女性だということを隠しているにしても、ひどく殺風景だった。

 要するに、ゆらぎの部屋には女性らしさの欠片が一つも無い。

 これならば万が一、黒瀬が部屋へ訪問して来たとしても、違和感はないはずと想定し、ゆらぎは玄関のドアノブに手をかける。

 すると、ピンポーン。と、絶妙なタイミングで呼鈴が鳴った。

 腕時計を一瞥する。赤坂に呼び出された時間までには、まだ余裕がある。

 では、呼鈴を押したのは誰なのか。

 この事務所の最上階寮フロアは、基本的に社長と黒瀬、赤坂、そして、先日入居したゆらぎしか立ち入ることは出来ない。

 もし、この呼鈴を押したのが赤坂ならば、何か緊急の用事なのかもしれない。

 そう考え、ゆらぎは少し慌てながらドアを開けた。

「よ! 新人くん。いま暇? これから部屋でさ、一緒に映画見ない? 赤坂誘ったら断られてさ」

 開かれたドアの僅かな隙間から顔を覗かせ、一方的に話かけているのは──有ろうことか、黒瀬セメル本人だった。

「いえ、これから事務室に行かなければならないので」

「えー、つまんないな。せっかく、君の分の唐揚げの王様買ってきたのに」

 視線を落とすと、確かにその手にはコンビニ袋が握られていた。微かに唐揚げの良い匂いも漂っている。

「その……、黒瀬さん、今日お仕事は」

「今日は半日オフ。珍しく早く収録が終わったから暇なんだよ」

 警戒心を怠らず、そして、その警戒心を悟られないように、言葉を慎重に選びながら会話を続ける。

「そう、なんですか。お疲れ様です。では、わた──オレ、急いでいるので失礼します」

 自身のことを危うく『私』と言い掛けて、直ぐに『オレ』と言い変える。ゆらぎが黒瀬に背を向けて施錠をしている間、彼は言葉を発しなかった。

 もしや、勘付かれてしまったのだろうかと思い、恐る恐るに振り返る。

 だが、彼はゆらぎの異変に気付いた様子は、微塵も感じられなかった。

「じゃあさ、夜なら空いてるでしょ? 俺、部屋で待ってるから。なんなら、赤坂も連れて来ていいから。な! だから来いよ、絶対」

 黒瀬は、ゆらぎの都合などお構い無しに一方的に告げると、断る暇もなく自身の部屋へ消えて行った。

「という訳なんですが……」

「セメルくん、ああ見えて実はかなりの寂しがり屋なんだ」