「ていうかオレのことも知らないみたいだし。子羊ちゃん、迷い込んじゃったの~?」
 男は勢いをつけて立ち上がると、黒の革靴を鳴らして面白そうに近づいてくる。

「いえその……私は、通りすがりの者で……」
 やばい、もうパンフレットとかどうでもいいから逃げなきゃ。

「教えてやろうか? 俺様のこと」
 男に自信たっぷりに微笑まれて、その鋭い瞳に吸い込まれそうになる。たしかに顔はかっこいい。怖いほどに整っている。
「いえ、結構です!! し、失礼します!!」
 愛里は振り切るように踵を返す。正面玄関から出よう。だが、玄関脇に控えていた二人のドアマンに、がしっと両腕を捕まれる。
「ひえっ!?」
 なんで!?
「申し訳ありません。貴志様のご意向ですので」
「ご同行願います」
 二人の黒服は口々に言うと、問答無用で愛里を担ぎ上げる。力で敵うはずもなく。

(なんでそっちの味方なの~~~~~!?)

「そりゃ、思うようになるわけないだろ。ここは俺様のキングダムなんだから」
 男に呆れたように言われた。
「じゃ、ベッドへごあんな~い」

 無理!!!
 助けて!

 愛里の抵抗むなしく、エレベーターに載せられる。愛里がどんなに暴れようと、ホテル従業員は驚くほど無視を決め込んでいる。今更ながら、「貴志」という名前をどこかで聞いたような気がしてきた。たしか、尚貴が言っていた。「女を連れていたら貴志兄さんみたいになっちゃう」って。

(え、じゃあ、この人がなおさんのお兄さん!? 藤田家の次男!?)