駅のトイレに入って髪を緩めのローポニーテールにしたあと、気を引きしめて本社へ向かう。

その途中、私は大事なことを思い出した。今夜は、まだ長沼さんと食事する予定になっていることを。

耀には行く必要はないと言われたけれど、本当に断ってもいいものだろうか。揚げ物の盛り合わせ並みにしつこいあのオジサマが、簡単に納得するとは思えない。

悩みつつも、バタバタしていたことを気づかせないきりりとした姿勢で、社員と挨拶を交わしながら秘書課に入る。普段より若干遅い八時四十分だが、まだ社長は出勤していないのでホッとした。

軽く社長室を掃除したあと秘書課に戻り、届いたメールやスケジューラーで社長の予定をチェックしていると電話が鳴り始める。

三コール以内に受話器を耳に当て、「おはようございます。サンセリール本社でございます」と型通りの挨拶をした直後、予想外の声が聞こえてきた。


『お世話になっております。私、ヤツシマ機械工業の長沼と申します』

「なっ、長沼さん!?」


驚いて、つい名前を復唱してしまった。電話の向こうの彼は、『あぁ、綾瀬さんか? ちょうどよかった』と、若干強張った声で言う。