タクシーが赤信号で停まっているとき、メーターの値段が上がったのを見て思い出す。

「廣瀬さんも、配車担当の待機料欲しいって思います?」

「そうですね」

廣瀬さんがあっさりと言うので、私もうなずいた。

「手当てがつくなら、ストレスも減りますもんね」

ただ待つだけでお金がもらえるなら、待機を歓迎する人もいそうだ。

「でも、俺は、」

小首をかしげて、へへっと笑う。

「かわいい女の子が『お疲れ様です』ってお茶の一杯でも淹れてくれたら、満足しちゃうかな」

「セークーハーラー」

「えー、男なんてそんなものでしょ?」

チラチラ動くライトの流れに目を向けると、窓ガラスには不機嫌そうな私の顔がくっきりと映っていた。
しかし、廣瀬さんは気づかずに続ける。

「対価によってストレスがなくなるかというと、必ずしもそうとは言えないと思うんです。それよりは西永さんたちの電話の方が癒されます」

「え! 嫌じゃないですか? 私たちからの内線。面倒なこと多いから」

下柳ほどじゃなくても、内線で不機嫌な態度を取る人はいる。
こちらも仕事だから仕方ないけど、感情ってそういうものじゃない。

「いいえ。女の人と話す機会なんて、あれくらいしかないし。むしろ西永さんなんて、申し訳なさそうに電話くださるので悪いなって思ってます」

「だって、いつも大変そうで」

住宅街に入り、外の明かりが減った車内はほとんど真っ暗になった。
廣瀬さんの表情は見えず、いつもの“牧さん”とも違う、凛とした声がした。

「依頼を受けるにしても断るにしても、とりあえずは丸ごと預ります。全部俺の仕事ですから」

「クレームも?」

「はい。配車に関してなら、怒られることも俺の仕事です。経験しないと仕事はできるようにならないので」

何でも引き受けて失敗した、それは廣瀬さんなりの仕事の仕方だったのかもしれない。
何年もひとつの目標を追い、嫉妬や挫折の渦巻く環境を越えるには、失敗を恐れない強靭なメンタルが必要だっただろう。

酔いは冷めてきたはずなのに、速くなる一方の心臓を抱えて、私は改めて“牧さん”の強さを含んだ声を聞いていた。