すべての検査が終了して更衣室に向かうと、ちょうど出てきた廣瀬さんと会った。

「……地獄でしたね」

表情の抜け落ちた顔で話し掛けると、廣瀬さんも真剣な顔でうなずいた。

「『死ぬ瞬間ってこんな感じなのかな』って思ってました」

「私は走馬灯を見る余裕もなかったです」

ひどい嘔吐感に苦しみながらカメラを入れられ、空気や水を送り込まれてどんどん気持ち悪くなっていく。
断末魔の叫びを上げることも叶わず、ひたすら涙とよだれでタオルを濡らした。

「画面で見ていたら、私の胃に黒くて丸いシミが見えて、『あ、私胃ガンだったんだ』って絶望したんです」

いつもおだやかな廣瀬さんの顔が、一段と険しくなった。

「もっと生きたかった。まだ沖縄にも北海道にも行ったことがないのに。ホールのアイスクリームケーキも食べたことないし、燦々太郎ラーメンの完全焼干し中華も食べてない。買ったのにもったいなくて着てない夏物のワンピースがあるけど、来年の夏まで生きられるのかな? 恋だって、結婚だってしたかったのに、職場と自宅の往復だけで人生終えるんだな、って」

廣瀬さんは何も言わず、苦しそうな顔で私を見下ろしていた。
その彼に、いまだ涙の余韻の残る目を向ける。

「黒いシミに見えたけど、ただの腸の入り口でした。胃はキレイなもので、ピロリ菌もいないって」

「なーんだ。びっくりした」

廣瀬さんは満面の笑みを浮かべ、くたっと身体の力を抜いた。

「だけど、我ながら後悔ばかりの人生だな、って。見つめ直すきっかけにはなりました」

死に直面したとき(してなかったけど)、今のままでは後悔しか残らないと思った。
旅行に行って、おいしいものも食べて、恋して結婚しよう。

「打ち上げでも行きますか?」

廣瀬さんは黒くてガッシリした時計に視線を落とす。

「今から北海道には行けませんし、夏物のワンピースも難しいけど、燦々太郎ラーメンなら。それと、ホールは無理でもカップのアイスクリームくらいは可能です」

別に急かされたわけでもないのに、私は更衣室に駆け込んだ。

「着替えてきます!」

「そこのソファーで待ってます」

そんな声が、扉の向こうから笑い声とともに聞こえた。