「風都誠一郎さんの事故現場に、あなたもいたわね?」
確信。ああ、なるほど。
単刀直入な切り口で、新道寺は合点がいった。
「あぁ、安心して?監視カメラには映っていなかったようよ」
「……」
あの日、あのとき。
繁華街の交差点は圧迫死を起こしかねない混雑だった。
それは同時に、誰に目撃されても抗えないことも意味していた。
「実は、私の元に事故現場へ誘導する犯行予告なる手紙が届いていたの。そして、ソレは、私たちの目の前で現実となった。最悪の事故……いいえ、事件だわ」
「……」
「その予告が通達されたのは、以前あなたと連絡を取ったあとのことよ」
「まさかとは思いますが……僕のことを疑っていますか?」
沈黙が漂う。
新道寺は背筋に冷たいものを感じた。ハイネックにシャツ、ボレロを重ね着し、室内は暖房で心地よく整えられていて、本当なら少し暑いくらいであろうに、渇きを覚える皮膚に冷や汗が押し寄せる。
今はただの一生徒であり、自ら改造した武器は持ち合わせていない。神雷ふたり相手に人数不利なうえに丸腰。
神雷陣は見る限り、彼のほうにだけスカートのポケット近くにスマホの形状とは異なるしわができており、下にナイフか何かを仕込んでいそうだった。
外には何も知らない家の者が待機している。騒ぎにするわけにはいかない。
夕焼けに眩む窓ガラスが、だんだんと暗闇に浸っていった。
「ぼ……僕では、ありません」
生徒が時速40キロの速さで下校し、にじみ出てくる静けさが、かえっておそろしい。
「誓って言えます!僕は何も……何も仕掛けていません。だって……!」
「言われなくてもわかっているわ」
「……え?」
素顔がベールに包まれていても、敵意がないことは一目瞭然だった。
そう、対面したときからずっと、この部屋の空気は一定にあたたかかった。
ただ少し、仮面のふたりの装いが不審なだけで。
「はじめからあなたがやったとは思っていないわ。私たちは嵌められたのよ」
「嵌められた……?」
「あなたの元にも、届いていたのでしょう?例の、意味深な怪文書が」
「……!」
先ほど新道寺が「だって」の続きで話そうとしたことだった。
「はい……れ……令月の頭、夜の街の十字架を拝み待たれよ、と」
呟かれた内容は、たしかに神雷に放たれた文面と一語一句違わない。
新道寺がそれを明かすことで、仕掛け人だとますます疑われる恐れもあった。
だけど、新道寺はなんとなく、彼女ならわかってくれる気がしていた。
(なぜだろう。何の根拠もない、むしろ警戒して然るべき人だ。……なのに)
ごくごく自然に信用している自分がいた。そしてその信用は、実際に当たっている。
新道寺自身、わけがわからず、心音が振れるばかりだった。
「あなたの場合、武器商人としてではなく、新道寺緋宛に手紙やメールが届いたのではなくって?」
「は、はい、メールが先月……。しかも細工してあって」
「細工?どんな?」
「差出人が、ふしぎなことに僕自身だったんです。僕のアドレスから送受信されていて、しかも絶対に削除できないプログラミングもされていました」
新道寺はスマホを開き、直接そのメールを見せた。
無機質な面の内でくすぶる息の根がかすかに漏れる。
「いったい誰がこんないたずらをしたのでしょう」
「決まっているでしょう」
「え?」
「私たちが死に物狂いで追っている、元紅組、現指名手配犯の残党どもよ」
「っ、な……!?」
こともなげに明かされた真犯人に、心身に震えをきたしたのは新道寺だけではない。
フラットシューズを履いた仮面の彼もだ。ケープや制服でまかなえていない黒タイツの脚が、だらしなく開かれる。
その隣の、白タイツを這わせた華奢な足は、かかとをぴたりと合わせて据えられていた。
「おおかた、あなたの挑発に乗ったのでしょう」
「ち、挑発って……」
「指名手配犯逮捕協力のニュース」
「っ!」
「手柄を自分のものにしたのは、残党をあぶり出すため、でしょう?」
新道寺の視線は、仮面にひそんでいるであろう姫華の眼に吸引され、ぴくりとも動かせない。無意識に握りこぶしを作っていた。手袋の衣擦れの感触がいやにはっきり伝わる。
「その大胆な作戦がよほど効いたのね。あんな大っぴらに事故と見せかけた事件を引き起こすほどに」
「報道では事故として処理されたと聞きました。本当に……本当に、元紅組の奴らがやったんですか?」
恐怖と憤怒が綯い交ぜになり、ふつふつと殺気を煮え立たせる。
なぜ、作戦の実行者を狙わないのか。新道寺は狙われるなら自分自身だけだと自惚れていた。交通事故が起こる可能性を1%だって考えちゃいなかった。ましてや無関係の命を巻き込むだなんて。
「これ、何だかわかる?」
姫華はケープの小さな胸ポケットから、ガラスの破片のような固形物を取り出される。
「薬莢、ですね。それも僕が取り扱う改造武器で使用しているタイプとまったく同じ」
「ご名答。さすが商人さん、よく一目でわかりましたね。これが現場に残っていたの」
「警察には?」
「もちろん知らせてあるわ、一部の信頼の置ける者にのみね」
犯人に買収されていたら面倒だもの、と軽い口調にしては冷徹に吐き捨てる。
「この薬莢に、不正なメール。ねえ、妙だと思わない?」
「も、もしかして……」
「そうね、きっと犯人は、武器商人であるあなたに罪をかぶせようとしているんだわ」
犯人たる確たる証拠がない状況で、無闇に事実情報を報じたら、犯人の期待どおりに事が運んでいただろう。
一旦交通事故として幕を閉じたように思わせることで、これ以上騒動が拡大するのを阻止した。
そう指揮したのは、他ならぬ、姫華らと親しい千間刑事である。
「……僕が、浅はかでした」
そう、相手にしているのはあの、世にも残酷なヤクザ、紅組の残党たち。武力を仕入れたからとて、簡単に丸めこめるほど甘くはないのだ。
そんなこと誰しもわかっている。
(あぁ……わかっていたのに)
「ええ、ほんと、ひどい脚本ね」
新道寺はうなずくようにうつむいた。
「まあ結果がどうあれ、私の獲物を奪ってまで仕立て上げた舞台に、隠れていた黒幕を引きずり出せたことに関しては、褒めてつかわすべきかしら?」
皮肉めいたことを言われても、言い返す言葉もない。ため息をつくことさえためらった。
「ねえ、奇跡の申し子、新道寺さん」
「……その呼び方は、やめてくれませんか。あまり好きではないんです」
しいて言えるのは、そのくらいだった。
奇跡の申し子という大仰な二つ名が使われる理由は、指名手配犯逮捕の件だけではない。
それだけではないから、ニュースは想像していた以上に取り沙汰された。
何度も奇跡を成す、神に愛された少年。奇跡の申し子。
指名手配犯逮捕の件だけをとっても、実に都合のいい解釈だ。
奇跡という当たり障りない単語ひとつで、さっさと受け入れられてしまう。それをどうして気分よく聞けるというのか。
みんな傲慢だと、新道寺は思う。
それを利用して話題作りをする自分も含めて。
「そうね……奇跡だなんてきれいなものではないもの」
雨音のようにこぼれ落ちた同調に、新道寺はうつろに目を上げた。
「地獄の淵でたまたま生きていただけよね。ごめんなさいね」
何もかも知ったふうな口を利かれ、胸の内がざらついて仕方ない。
けれど当然のようについてきた謝罪にどうしたらいいかわからなくなる。
新道寺の目に、いたずらに前髪がかかる。半透明に透けて輝く髪が、彼女の影をやさしく打ち消していく。なんだかとても眩しい。
「でも……あなたがここにいることを、私はうれしく思うわ」
彼女の傷の映える手が、作り物の面に触れた。
「ありがとう」
「ごめん……ごめんな」
正反対の言葉が、不意に脈を打つ。
隣り合わせの仮面が、ともにゆっくりと下りていく。次いで、ケープのフードが風を立たせるように外された。
埋もれた輪郭が、光を浴びる。
新道寺は感情のすべてをなげうって、視界を限界まで押し広げた。
ヒールを履いた足元から上へのぼると、輝きに魅入られた天使の素顔。花びらの散りゆく様を描くように、やわらかな髪の毛が揺らめいている。
その隣で背伸びもなく棒立ちしていた彼の造形は、吸血鬼を思わせる、少し痩せた艶があった。葉のように外に開いた髪の毛は、首裏を撫でている。
「……っ」
どちらも息を呑む美しさ。
そして、髪の毛は頭皮に近いほど真新しい黄金をまとう。
新道寺は、よく知っていた。
学校で?テレビで?
否。
ずっと、ずっと昔に。
「生きていてくれてありがとう――サンカク」
だけれど唯一、涙ぐみながら呼んだその声だけは、記憶にない少年の音をしていた。



