バレンタインデーが過ぎた白園学園は、財閥の子女たちによるショコラティエやフラワーコーディネーターの派遣をひととおり片付け、特有の悠々とした時間を送っていた。

優雅な放課後、高等部本校舎から送迎の車が何台も旅立っていく一方、新たな訪問者の影があった。

中等部のある方角からやって来た、ブロンドの長髪に白手袋が特徴の少年、新道寺である。

ちょっとした有名人でもある彼は、すれちがう高等部の先輩や先生方に必ずと言っていいほど二度見され、好奇な接触を試されるが、慣れもあって歩くペースが乱れることはなかった。


寄り道せずに向かったのは、ビターチョコレートを溶かして固めたような扉にウッディな芳香の舞う一室。表札には「生徒会室」と記されている。

4月からエスカレーター式で高等部に進む彼は、成績首位と学外での功績を認められ、高等部生徒会の一員になることがすでに確定している。その挨拶と説明を兼ねてか、高等部生徒会生徒会長から今日の放課後に生徒会室に来るようお達しがあった。

高等部だろうが生徒会だろうが彼に別段緊張感なく、堂々とノックをして扉を開けた。




「失礼しま……え?」




マナーに則り一礼しようとした、そのとき、彼はついに動揺を見せた。




「ようこそ、お待ちしておりました。中等部3年、新道寺緋さん」




なぜなら、中で待っていた人は、明らかにふつうではなかったからだ。


マスカレードかと疑うシックな白の仮面に、同じく白色のフード付きケープ。

無機質な低音の効いた声は、どう考えても肉声ではない。

ケープの下から覗く茶色いスカートで、女子生徒であることは最低限判断できた。


ただし、驚くべきは、同様の装いの人がふたりもいるということだ。

言い換えると、その怪しげなふたり以外、中には誰もいないのだ。




「生徒会長さん、ではなさそうですね」




返答はなく、つまりは肯定と捉えた新道寺は、後ろ手に扉の取っ手をつかんだ。逃げ道の確保は重要だ。




「生徒会長さんはいずこに?」

「さあ?風邪がぶり返したのかもしれません」




仮面は顔全体を覆うタイプで、ふたりがそろって首をひねれば、話しているのがどちらかわからない。

仮面とフードで胸から上の情報はすべてごまかされている。せいぜい分析できることといえば、右はヒールを、左はフラットなローファーを履き、背丈までほぼ同等になっていることくらいだった。




「生徒会長さんに呼ばれて参じたのですが、不在であれば僕はこれで……」

「それは少し語弊がありますね」

「え?」

「正しくは、生徒会長名義でここに来るように指示があった、でしょう?」




ふふ、と本来上品であろう一笑は、ボイスチェンジャーによっていわゆる暗黒微笑のような不気味さがある。

隙間の開いている扉に、新道寺はそろりと身を寄せた。




「あなたに用があるのは、私たちなんです」




つるりとした仮面の表面に、淡い茜色が射し込む。陰陽の境界がくっきりと浮き上がり、妙な圧迫感があった。新道寺は手袋をはめた両手を握りしめた。




「新道寺緋さん」

「……えっと……」

「それとも」




コツ、コツ、とヒールを履いたほうが扉側に近づいていく。




「こう呼んだほうがいいかしら」




新道寺の正面まで来ると、見るからに上質な彼の白手袋の、右手側を、他愛なく抜き取った。

カチリ。スイッチの切れる音が、した。




「――武器商人さん」




刹那、甲高く生々しい声が、その場を制した。


暴き出された新道寺の右手は、凝血したように爪が赤かった。



新道寺はとっさに思い切り扉を閉めた。ガチャンッと鍵までかけ、部外者の立ち入りを部外者自ら禁ずる。

すると扉の外からバタバタと足音が響いた。次いで扉を荒々しく揺さぶられ、「緋様!緋様!?」一方通行な呼び声を投げつけられる。




「あら、いけません」




我先に応じたのは、甲高い声の持ち主であろうヒールを履きこなした仮面の生徒だった。




「入室はあなたお一人でけっこうですよ。お付きの人は下がらせてくださる?」

「……」

「そう怖がらないで。身辺警護なら、お付きの人の他にも任せてあるわよ」

「……何?」

「より権力のある方々が、近くにいるかもしれないわね」




どこかつかめない濁らせ方に、新道寺の表情にみるみる剣呑がのぼる。

彼自身、扉を閉鎖したのは家で雇った学園公認の護衛部隊と距離を取るためだったのだが、まるで仮面の生徒に従っているようで癪だった。

ため息まじりに付き人の呼びかけにノック2回で応じた。緊急時に安全を伝える合図のひとつ。すぐに外は静かになった。




「それにしても、お付きの人はずいぶんとあわてた様子だったわね。おうちには内緒にしているのかしら、あなたのもうひとつの顔を」

「バレたら大変なので。けれどそれは、あなた方にも言えることではありませんか?」




シラを切るなんて野暮な真似はしない。的を絞った攻め方は、真偽問わず、よほどの材料がなければ形勢をひっくり返すことは難しい。

それにお互い様だ、これによって新道寺も相手を特定できた。




「そうでしょう?神雷4代目総長、女王様」




ボイスチェンジャーで変えていた声は、先日ハッキングされた音声通話で聞いたときの声とよく似ていて、大方予想はついていた。確信を持てなかったのは、白園学園に通うお嬢様というステータスに踊らされたせいだ。




「まさか総長ともあろう方が、誉ある白園学園の生徒だなんて。知られたら大変でしょう」

「この制服が単なる変装とは思いませんの?」

「ありえませんね。そう簡単に手に入る代物ではありませんので」




新道寺と対峙する女王、姫華は、先ほど奪った右の白手袋を隙のない所作で返却してやった。それでも仮面とケープを取りはしない。

警戒心を強める新道寺は、何気なく歩くていで間合いを取った。




「こんなに近くにいたとは驚きです。いつ僕の正体にお気づきで?」

「直感よ」

「はい?」

「しいて言うなら……そうね、その赤い爪かしら」

「……普段は手袋をしているのですがね」




新道寺は返された手袋に無防備な右手を食わせた。頑丈に硬化された赤のつけ爪が、するりとなめらかに消化されていく。




「御見それしました、さすが神雷総長」

「あら。先に断定したのは、あの彼よ」

「彼……?」




いきなり白羽の矢が立ったのは、フラットシューズを履いた、もうひとりの仮面の生徒だった。

お仲間の彼女ははっきりと「彼」と口にしたが、着用しているのは紛れもなく女子用のジャンパースカートである。




「彼って……」

「あなたが会いたがっていたから、特別に連れてきてあげたのよ」

「会いたがっていた?僕が?」




そう言われて新道寺が真っ先に思い当たるのは、以前の電話で回収した武器の取引相手に話していた「ボス」の存在だ。

想像とかけ離れていて、思わずその「彼」とやらの容姿を凝視する。

姫華は「彼」の横に移動し、たしかに少し骨張った男らしい「彼」の肩に手を置いた。




「驚いた?これは単なる変装なのよ」

「変装……?嘘でしょう……。だって……ここは天下の白園学園ですよ?たとえ変装できても、関係者以外立ち入りは……」

「白園学園だろうと不可能はないのよ。私のような協力者がいれば、ね」

「……っ、そう、か……」




フラットシューズを履いた仮面の彼を、新道寺は再び見やる。




「彼が、ボス……」




残念な気持ちがつぶやきに立ちこめる。

彼のことをまんまと女子生徒のひとりと決めつけていた自分への不甲斐なさ。そして、彼がボスと呼ばれることに対しても。考えをすべて裏切られた気分だった。




「当初はまた連絡を取って、会合の場をセッティングする予定だったの。けれど想定外の事故が起こってしまってね。しかも、あなたったらその間に通信環境をリセットしたでしょう?」

「当然です」

「おかげで電話するどころではなくなってしまったわ。けれどちょうどそのタイミングであなたの正体に確信を持つことができ、こうして直接ご招待したのよ」

「確信……そうですか」




並び立つふたつの仮面を、新道寺は睨むように見つめた。

はぎ取ろうと思えばいつでもできる。自分だけ正体を暴かれて不公平だ。

そう思いながらも、逆の立場なら自分もそうしていただろうし、この世は公平であるほうが実は稀有なのだと、いやに冷静に納得できてしまえた。


ボスと呼称される仮面の彼は、一言も発さない。服屋のマネキンのようにじっと佇んでいる。

新道寺は呼吸をひとつ置き、空調の流れに従って自慢の長髪を振り払った。




「たしか、話がしたいとか、言っていましたね」

「ええ、まあ、あのときから話の内容は少し変わってしまったけれど」




目深にかぶった、いかにもあたたかそうなフードが、謎めく仮面の目下まで陰らせていた。全身からあふれ出る危うさは、高度な武器がさぞ似合うだろう。