タクシーを装った下っ端の車で、白園学園まで出向いた。
勇気チームとは別行動で、すでに配置についていると、右耳にはめこまれたイヤホンから報告があった。イヤホンはホクロと見まがうほど小さくて黒く、髪の毛に覆われればいっそう存在感がなくなる。潜入にもってこいの優れ物。汰壱が神雷加入前に遊びで作ったらしい。天才のやることは、すばらしくイカれている。
白園学園はスタジアム3つ分に相当する面積を、初等部・中等部・高等部で等分し、それぞれひとつの町のように構築されている。
あまりの広さに園内では車が平然と往来し、登下校や昼休みのランチ、たかが校舎を跨いだ移動教室でも車利用はめずらしくない。
学園の出入りには、徒歩でも車でも必ず正門を通らなければならない。
正門は専用ゲートに加え、カメラと警備員の二重チェックを経て開かれる。校舎前に到着後も、昇降口前にはまたゲートがあり、特注の学生証をかざさなければ反応しない仕組みになっている。
成瀬にも一応、即席の学生証を持たせてあるが、もちろんそれではゲートはうんともすんとも言わない。そうとわかっていて成瀬は正門前で車を降りた。
天然石仕立てのつるつるとした外壁は、電柱ほどに高く、上部では監視カメラが抜け目なく作動している。よじ登って侵入は、もやしな成瀬には無理だ。
ここは正攻法でいくしかない。
警備員のいる正門横の受付口に、白い不織布マスクでしっかりと守った顔を覗かせた。
「すみません……ケホッ、ケホッ。ご苦労様です。あたくし、急いで来たもので……ゲホッ、ゲホッ。学生証を忘れてしまいまして。門を開けてくださらないかし……ゴホッ、ゴホッ!」
こういうのは最初が肝心だ。
かすかすの声は風邪アピールで意味を持たせ、マスクからはみ出るピンクメイクによって相乗効果をもたらす。
分厚いファーコートにパスタを茹でるときみたく細い艶髪を覆い広げ、暗に上質な暮らしを思わせる。
(なんか神雷に入り浸るようになってから肝が据わってきた気がする。いいことなのかは知らねえが)
髪の艶出しを偽装するヘアオイルの甘ったるい匂いに本気でむせそうになった。
事務的に名前と学年を訊かれ、本日インフルエンザで欠席しているという高等部生徒会長に扮して名乗る。続けざまに用紙に記入を求められ、か弱げな字面で同じ内容を書き留めた。
「この名前……高等部の生徒会長さんですね」
「えっ? え、ええ」
「なんかいつもと雰囲気がちがいませんか?」
「そ、そうでしょうか? 風邪のせいかしらね、ゲフンゲフンッ」
「ああ、風邪……。インフルエンザと聞きましたがご登校されて大丈夫なんですか?」
「し、心配無用ですわ。静養期間を終え、熱も下がりましたから」
書き終えたと同時に、常駐していた高齢の警備員に矢継ぎ早に質問される。どれもピンポイントで成瀬は口角を引きつらせた。マスクをしていてよかった。
「そ、それで……き、今日は、その、大事な終業式ですので」
「そうですか……。終業式はもうすぐ終わりますが」
「で、ですわよねっ。だからあたくしも急いでいるんですわ」
警備員はまじまじと目を眇める。
怪しまれている。
成瀬は思い出したようにケホケホッ! と咳を付け足した。ちょっと涙目にもなってみる。あと茶を濁す技はないかと考えをめぐらせていると、警備員が書き立てほやほやの筆跡を睨みながら、小型のタッチパネルを差し向けた。
「では、こちらをご確認ください」
画面に短い文章がいくつか表示された。
『あなたの飼い犬の名前は?』
『そのあだ名は?』
『猫を飼ったら名付けようと考えている名前は?』
解答欄はなく、代わりに画面下部にマイクの図が大きく載っている。音声入力しか対応していないタイプのログイン形態だ。
「お急ぎのようですので、すべて一度にお答えいただいてけっこうですよ」
事前情報によると、これはあくまで嘘発見器的な使われ方だという。
本人考案のQ&Aを一語一句たがわずに解答できるのは本人しかいない。
……と思いきや、お気の毒様、何の問題かさえわかればこっちのもの。粒ぞろいの神雷なら、この程度の解読はおちゃのこさいさいだ。
しれっと通信をつないでいたイヤホンから、早くも模範解答が伝達された。
そうはいっても、答えがわかったところで、たいがい音の波形で嘘がバレてしまうのだが……そこは成瀬の腕次第。警備員の目を欺く勝負に出た。
「コホン。ぱ……パイナップル・ランドール・ミルキー・ミルフィー・ランラン・ハニーモルト。あだ名はパルト、たまにミルラン。次の候補は、ドルーチェ・ニア・ピーチモンド」
こうなることを見越してかおそろしく長く、思いつきの単語を好き勝手羅列したような、一風変わった名前。それも3コンボ。ペットにつけるにしたって趣味が悪く、なんとも覚えにくい。悪用対策としてなら文句なしだけれど。
日頃ドラマの台本を暗記している成瀬にとっては、別段苦労はなかった。あえてすらすら答えず、体調不良らしいアクセントをつける余裕さえあった。
ピンポンピンポン!
正解の音が鳴り、ピリついていた警備員はたちまち気をゆるめる。
「おめでとうございます。では例のパスワードをこちらに」
しかしそれだけでクリアとならないのが白園学園。
Q&Aはいわば第一関門。満点回答の記念に得られるのは、最終関門の挑戦権に過ぎない。
白園学園では、学生証を忘れたときのため、緊急用のパスワードを控えている。タッチパネルにパスワードを入力することでゲート通過許可が下り、警備員が手動でゲートを開けてくれる。
つまり、ここさえしのげれば、白園学園の生徒として認められるということだ。
園内にも監視カメラや警備員がところせましと張り巡らされているが、今はちょうど終業式中なので会場に注意が集中している。姫華から死角もリーク済みだ。
それに、生徒会長の肩書きと体調不良の言い訳という最強の奥の手があれば、いかようにもごまかしが利くはずだ。
「さあ、ご入力ください」
「……ええ、わかりましたわ」
肝心のパスワードは毎月生徒自身の手で更新され、個人情報同等に管理されている。先程のQ&Aとはちがい、ちょっとやそっとで判明する情報ではない。これが、汰壱がセキュリティー突破に苦戦していた一番の要因だ。ハッキングすれば通報がかかり、逆にこちらの情報が漏洩しかねなかった。
にもかかわらず、成瀬は堂々とタッチパネルのキーを叩いた。
ヤケクソではない。役に憑依するタイプでもない。
成瀬は、知っている。「ひらけごま」以上に有効で確実な鍵の在処を。
姫華が、知っていた。成瀬が扮する高等部生徒会長の今月のパスワードを。
インフルエンザに罹る前日に運よく入手したらしい。きっと姫華に知らないことなどないのだろう。
成瀬はあたかも自分事のように、新しくデビューしたKPOPアイドルグループみたいな英文字の並びを打ち込んだ。その手さばきは、定期演奏会で何年もピアノをたしなんでいる人に近しいものを連想させる。
「こちらでよろしいかしら」
確定ボタンを押すや、またピンポン! と祝福の鐘が鳴り、画面上にくす玉が割れるエモートまで出てくる。
警備員が拍手をし、さすがです! すばらしい! とあからさまによいしょする。成瀬はじわじわと羞恥心に見舞われ、どうにか咳をして切り抜けた。
ゲートのほうへ移動した警備員が、マスターキーか何かでゲートのストッパーを下ろす。
「お待たせいたしました。どうぞ、行ってらっしゃいませ」
成瀬は礼を言うべきか迷い、結局目礼で済まして警備員を横切った。ロック解除されたゲートをドキドキしながら通り過ぎる。
ちらりと後方の警備員を見やれば、怖いくらい真剣な顔つきで敬礼していて、心音が歪に乱れた。
(潜入できるとしたらせいぜいひとり、か。なるほどな。そう言っていた意味がよくわかったぜ)
こんなこと二度三度便乗できないし、不法侵入に付け入る隙もほとんどない。
成瀬はゲートを突破した今でも地に足がつかなかった。



