商品契約成立を祝い、豪邸の主である白人男性・ゴメスはボスたちをディナーパーティーに招待した。
隷属関係となった新道寺は、パーティーに呼ぶ代わりに治療に専念するよう言い渡された。
病院に行けば性別がバレてしまう。
ボスも一度、新道寺を地下牢に収容する前に診察させたことがあったが、少女という先入観から性別には気にも留めず、延命させることのみを考えていた。地下牢に閉じ込めてからも確認はなく、脳筋らしい杜撰な管理で満足していた。
しかし、ゴメスはちがう。
新道寺――SUN自体に興味がある。
新道寺はあらゆる言い訳をつけ、媚びを売り、病院を免れようとした。だがゴメスの意見は変わらなかった。
アタッシュケースに現金を用意している間に豪邸に医師が到着し、そのまま病院へ強制送還された。
入院生活は、予想に反して平和だった。
ゴメスの財力で与えられた個室タイプの病室に、清潔なベッド。点滴での栄養管理。汚れがついたら捨てられる病衣。
地下牢ではありえない暮らしを、ゴメスは新道寺に無償で提供し続けた。
医師にはとうに少年と見抜かれている。それでもゴメスの対応は変わらない。たまに見舞いに来ると、新道寺が実家で飼っていた犬や猫や兎みたいにかわいがり、長居せずに帰っていく。ボスたちが押し寄せる気配もない。
(もしかしたら……ミスターゴメスは、いいひとなのかも)
体の回復に比例し、期待が募る。
治療費はもちろんゴメス持ちだし、怪我の具合だけでなく元気かどうかまで気にかけてくれる。新道寺がいくら拒絶しても笑顔を崩さない。傍から見れば、人身売買をした人だとは夢にも思わないだろう。
金持ちゆえに金銭感覚がずれた人を、新道寺は何人も見てきた。そういった人たちはたいがい常識も一般社会にそぐわず、金に物を言わせがちだ。
ゴメスも同類なのかもしれない。善悪の分別が曖昧なだけで根はやさしい。ちゃんと心がある。ボスたちにはなかった人の心が。
人身売買の絶望からの反動も相まって、新道寺が絆されるのにそう時間はかからなかった。
(ミスターゴメスにマルたちのことを話してみようかな……。お金で買うのはよくないけど、でも、マルたちにもきっとやさしくしてくれる)
闇オークションが頓挫したことを知ったのは、半年後の秋、退院したあとのことだった。
外傷が完治した新道寺を連れ、プライベートジェットで別邸のあるニューヨークへ渡る最中、それとなくボスたちの件の探りを入れた新道寺に、ゴメスが心底失望した様子で話してくれたのだ。
なんでも三日三晩続いたパーティーを解散したあとからボスたちと連絡が取れなくなったらしい。
じゃあマルたちはどうなってしまったのだろう。
ゴメスに聞いても、知らないの一点張り。
あわよくば皆一緒に日本に送ってもらえたら、と調子のいいことを考えていた新道寺の落胆はひどく重いものだった。
「Don't worry,my angel」
混乱する新道寺に、ゴメスは我が子をあやすような甘い声音で言った。
君には私がいるし、私には君がいる。それで十分じゃないか、と。
新道寺を撫でる碧眼に、嘘はない。窓から見える空のように澄んだ色をしている。マルたちの存在価値は、空に寝そべる浮雲と大差ないのだ。
骨のくっついた新道寺の背に、悪寒がざわついた。
(ミスターゴメスは、いいひと、だよね……?)
地下牢での生活を知らないから、自分だけでも満足だと言えるのだ。事情を説明したら、助けてあげようと捜査に出資してくれるにちがいない。
だって、拙い英語を親身に聞いてくれた。退院の日にはパーティーを開いてくれた。母の故郷であるスペインや日本にも連れて行ってとねだったら、いいよと二つ返事で了承してくれた。中世ヨーロッパのお貴族様が着るようなシルク素材の洋服を何着も宛ててくれた。洋服はすべて当然のように男物だった。
(このひとは、ボスたちとはちがう)
言葉が通じる。
心を通わせられる。
れっきとした血が通った人間だ。
巨額の富に狂わされているだけで。
(しんじて、いい……はず)
闇を払った身体の内に、得体の知れないモヤがかかっていた。
ニューヨークの別邸に着いて早々、ゴメスの仕事が立てこみ、新道寺ひとりの時間が続いた。
基本は自室に入り浸り、ときおり使用人の真似ごとをする。生まれ変わるなら金持ちの猫がいい、と言う人がいるが、自分はまさに今そんな感じだろうと新道寺は思う。
実家で日々こなしていた勉強や稽古はない。母親の小言や父親の激励もない。家中に置かれた自分の好きなものたちも、ここには何ひとつ存在しない。贅沢な殺風景だ。
地下牢に収容されていた時間は、思い出に浸る暇もないくらい鬼気迫っていた。しかし、野放しの今、ひとりぼっちな現実を思い知らされる。
愛するすべてを失った。誰も助からなかった。
傷は塞がったのに、痛みが引くことはなかった。
(ママ、パパ……。マル……みんな……っ)
自室のベッドですすり泣く日が増えたころ、ようやくゴメスの仕事がひと段落ついたようで、新道寺に呼び出しがかかった。
新道寺は顔を洗ってから、呼ばれた書斎へ行くと、扉を開けてすぐゴメスにハグで迎えられた。
「I missed you,SUN!」
クッション性のあるゴメスのふところに、新道寺の軽い体がぽよんと収まる。
お日様の匂いがした。不安が晴れていくようだった。
(……いまなら、いえるかも)
言おう。
言わなくては。
被害者の声を。ゴメスに。
今までなんとなく言うに言えなかったが、信じてすべてを打ち明けるときが来た。今だ。
大丈夫。彼ならわかってくれる。
「ミスターゴメス! ぼ、ぼく、あなたにはなしたいことが……!」
先走って日本語を発していることに気づき、あわてて軌道修正する。
「あ……あい……I need to tell you……」
「Oh~!」
英語に直している途中で、なんて奇遇だろう、とゴメスはオーバーリアクションで驚いた。
どうやら同じことを言おうとしたそうで、私たちは相性がいいね、と密着度をいっそう高めた。
「ミスターゴメスも、ぼくにはなしが……? What……?」
「Hehe,I've been waiting for this day to come!」
語尾に音符がつきそうなゴメスの語感に、新道寺はそれぞれの「話」のテンション差を察し、思い悩んだ。
いい話と悪い話、どちらが先のほうがいいのだろう。
考えているうちに、ゴメスがこっちにおいでと言わんばかりに手を引く。書斎の奥へ連れていくと、書棚の角をカチリと押した。すると書棚がガガガ……と振動しながら横にずれる。
隠し扉だ。
開かれた奥には、地下へ続く階段があった。
(な、なにこれ……? なんでここにも地下があるの?)
新道寺はいやな予感に駆られた。昨日のことのように思い出されるトラウマが、心身を萎縮させる。
ゴメスのほうをちらりと窺えば、まるで同い年の子どものような笑顔があった。新道寺はほっとする。
大丈夫。大丈夫だ。
ボスたちとはちがうって、学んだじゃないか。
軽快なリズムで階段を下りていくゴメスに、新道寺は勇気を持ってついていくことにした。
石造りの階段に足音が反響する。ぐるぐると螺旋しながら100段に達する目前でフロアに着いた。
そこには、ビジネスホテルを彷彿とさせる4畳ほどの一室が用意されていた。白と赤を基調にしたベッド、サイドテーブル、椅子。家具といえばそれくらいで、石がむき出しの壁や床がかえって素朴なコンセプトを際立たせていた。
地下であることを忘れさせる照明に、檻や鍵のない開放的な構造。ボスたちのアジトとは比べものにならない健全で清潔な部屋に、今度こそ新道寺の不安が払拭する。
「ミスターゴメス……!」
喜色満面の顔を向けた。慈しむように金色の頭を撫でられる。
もう恐怖はない。心から身を委ねられた。
その碧眼が視界を埋めるまでは。



