「エミヤ、これを」
エミヤの存在がアルマドの〝顔の見えない寵姫〟として定着してきた頃、アルマドは土産を手に部屋へ戻ってきた。
最近では、この〝土産〟も日課になっている。
今日も今日とて彼は甲冑を着込んでいるが、その姿にもだいぶ慣れたな、とエミヤは思う。
今日はアシドニアの神話をモチーフにした甲冑だ。何日か前にそれを見て、あまりに美しかったので褒めに褒めたらよく着てくれるようになった。
アルマドのそんなところがかわいくて優しくて、エミヤは軟禁生活の日々での癒しにしている。
この軟禁生活は、良からぬ者からエミヤを守るためのものだ。自分から飛び込んでおいて、外に自由に出たいと我儘はいえない。
「ありがと」
もやりと胸を過る思いを無視して、エミヤは甲冑の指先から分厚い本を受け取った。
年季は入っているが、手入れはきちんとされ埃っぽくもない。
「今日のは僕のお気に入り。君も気に入ればいいけど」
ソファに座って開けば、中には緻密な線で描かれた植物の絵と、効能と特徴が詳細な文章として書かれていた。一ページに一種類。すべて薬草にも毒にもなる植物である。
「うわ、すごい」
思わず声が出た。
ここまで詳細で美しい植物図鑑は見たことがない。
家にもいくつか取り揃えてはあったが、どれも観賞用の花がメインで薬草に特化したものではなかった。
数日前から、部屋に籠るしかできないエミヤのためにアルマドはこうして本を持ってきてくれる。今日のような図鑑だったり、絵本だったり、街で流行っている小説だったり、日によって様々なものをアルマドはエミヤに贈った。
「僕が温室を作る際に参考にした本だよ。発刊されて古いけど、有名な植物学者が書いたものだ。君はここ最近ずっと眠り続けて時間を潰しているというから、気に入るといいけど」
甲冑に取り付けていた赤いマントを外しながらアルマドが言う。
この本がきっかけでこの植物学者からコーヒー豆を贈られる仲になったのだが、アルマドはそれ伏せた。
「……うげ、暇を持て余して眠り続けてるって報告されたの?」
エミヤは顔を歪めて不満そうに言った。
自分がとんでもなく堕落した生活を送っていることを告げ口された気分である。
アルマドからは早い段階で、日に何回かアルマドの部下が様子を見に来ると告げられていた。それはエミヤを信用していないからではなく、アルマドの目が届かないうちにエミヤの身に危険が起きていないか確認するためだ、と。
それには黙って頷いておいたが、勿論言葉通りではないこともエミヤはわかっている。
「君がよく寝ていたから、起こさず帰ってきたと言ってたよ」
最近のエミヤは眠ってばかりだ。
アルマドの部屋以外で行き来できるのは浴室とトイレだけ。
寝すぎて目の下には隈もできているし、不健康にもちょっと痩せた。アルマドが持ってきてくれる朝食と夕食は十分な量があるが、今まで出来たての温かい料理しか食べてこなかったエミヤにとって、冷めた料理はあまり食欲を刺激しなかった。ちなみに昼食は軽食のみで、アルマドが信用する侍従が持ってきてくれる。しかしエミヤも、彼の顔を見れたのは数回程度だ。基本的に、侍従は控えの間までしか立ち入らない。軽食もそこにワゴンで運ばれ、ベルを鳴らして軽食を持ってきたことを教えてくれるのだ。
アルマドの警戒心は徹底している。自室の掃除も基本的には自分でするし、執務が忙しく部屋の掃除まで行き届かないときは、その侍従一人に任せるという。もし部屋に置かれた何かしらに毒が盛られていても、部屋に出入りできる人間を限定していれば、犯人の特定が容易だからと聞いた。ちなみに今はエミヤが掃除を担当しているが、アルマドの部屋には高級品しか置いていないのであまり大っぴらに掃除ができない。壊したらあとが怖い。そのため、毎日不完全燃焼な思いを持て余している。
(アルマドは、常に気を張ってる。私を外に出さないのも、信用ならないからだ)
考えて、エミヤはぐったりとソファに沈み込んだ。
最近は、気持ちが塞ぎがちである。
アルマドが持ってきてくれた本もあるが、基本娯楽はその程度だ。
爵位はあるが貧乏貴族で、日々を忙しく家事に掃除に妹たちの教育にと走り回っていた生活から一転、豪奢な部屋から一歩も出られない日々になってしまったのだから、こうなるのも仕方がない、と思う。
とはいえ、仕方がないと割り切っているエミヤとは反対に、アルマドは違う意見らしい。
今も、不意に近づいてきたかと思えば、真剣な眼差しで――兜に阻まれて表情は見えないが、恐らく――エミヤの少しほっそりととなった手首を手に取っている。
まるで壊れ物でも触るよな手つきだが、まさしく、今のエミヤはアルマドにはそのように映っているのかもしれない。
(やだな、心配させたいわけじゃないんだけど)
確かに今の生活は不健康極まりない。運動もできないし、本を読むか眠るくらいしか一日を過ごす方法がない。太陽にも当たれていないので、体全体が重いような気もする。
(こういったことも見越しての、策略だったんだろうなあ)
アサロ侯爵から提示された報酬の金額が相当なものだとは思っていたのだが、もしかしたらこの状況に陥ることも想定しての金額だったのかもしれない。
そう考えると、アサロ侯爵は相当良心的だが、今となっては接触も断たれているので確認のしようがない。
「どうしたの?」
手を取ったまま動こうとしないアルマドに、解っていてあえて訊いてみる。
その兜の向こうに、悲痛な表情が浮かんでいそうで、エミヤはそれをどうにかしたかった。
「痩せた」
一言、ぽつりと漏らしたアルマドに、エミヤは苦笑する。
「それ、昨日も言ってたのに。一日でそんな目に見えるほど痩せたりしないよ」
そう言う度にアルマドが傷ついているのがわかっているから、エミヤは明るく笑った。
(アルマドは迷ってる。私を守ること、私を信用できないこと、城の人間だって信用しきれないこと、そんな場所で、こうして私を閉じ込めておくことが最善だってわかってるのに、私が弱ってきたから)
このまま放りだしてくれてもいいのにな、と思ったりもするのだが、アルマドは何故かそれをしなかった。
簡単なことだ。寵姫として務めたエミヤを労い、お役御免として褒賞を渡して街に帰してしまえば、それでこの生活は終わり。エミヤは元の生活に戻り、もらった褒賞を妹達の結婚にあてれば、目的を達成できる。お金の支払者がアサロ侯爵からアルマドに変わるだけのこと。
(いや、そう簡単なことでもないのかな。私をここに送り込んだアサロ侯爵は勿論納得しないだろうし、鎧の国王の寵姫として一度でも過ごした私は、元のまんまの生活は送れないかもしれない)
考えて、エミヤははっとした。
(だからか)
アルマドがエミヤを決して外に出そうとしないのには、そういった理由もあるのだ。
城内を自由に行き来すれば、それだけ〝寵姫〟の顔が人々に知れ渡ることになる。お役御免で街に戻った時、それこそ普通の生活を取り戻すのは難しいのではないか。
城には街から通いで働きに来ている人間もいるのだ。
「エミヤ?」
アルマドは、エミヤのことを考えてくれている。
信用ならないのも確かなのだろうが、アルマドはきちんと、エミヤを思ってくれている。
(見た目は随分と変わっちゃったけど、優しいのは相変わらずだなあ)
優しいからこそ、今までたくさん傷ついてきたんだろう。
「エミヤ!」
(……アルマドに、心休まる日がくればいいのに)
はっきとしない頭でそう考えて、エミヤは眠るように意識を手放した。