「女を囲っているとか?」
アルマドの膝から下の寸法を測っているエン技師からの言葉に、アルマドは特に驚かなかった。
ここ連日、多くの家臣達に投げかけられた話題だからだ。
醜い王が娘を囲っているらしい――嘲笑を含んだそれを隠して、手を変え品を変え、王がご執心なのはどこの娘なのかと尋ねられた。そう言って尋ねてくる人間達を傍観するアサロ侯爵の訳知り顔が大変癇に障ったのを覚えている。
娘本人は嫌がるとしても、国王であるアルマドに身内を嫁がせたい人間はたくさんいるのだ。
そういった画策とは縁遠いエン技師は、次には足の指の長さを測りながら口を開く。
「いつもなら月の始めには言ってくる定期検診が遅れたと思ったらそんな理由を聞かされて、俺は天変地異を疑ったよ」
王に対して不敬ともとれる発言を平然としている彼は、アルマドの甲冑を作っている甲冑職人である。
細かな定期検診を設け、アルマドの成長に合わせて甲冑の細かな駆動、大きさを調整してくれる、〝鎧の国王〟にとってなくてはならない存在だ。アルマドの初めての甲冑も、彼が作ったものである。
「それで、どこの娘なんだ?素性は知れてんだろうな?」
アルマドが幼い頃からの付き合いとあってどこか父親風を吹かしたがるエン技師だが、離婚歴二回の五十歳の甲冑馬鹿である。
「貴方に言う必要はないでしょう」
エン技師も馴れ馴れしいが、彼に対するアルマドの対応もそっけない。
付き合いの長さが許す慇懃無礼ぶりを、エン技師は笑い飛ばした。
「ちげえねえな。俺は、お前が楽しいならそれでいいさ」
その言葉に、今は兜をかぶっていないアルマドはふっと笑みを漏らした。
彼のこの飾らないまっすぐな言葉は、アルマドを励ましてくれる。
「どれ、文字通り鋼鉄のお前が見初めた女とやらを一目見て帰りたいね」
この俗っぽい言い方も気に入っているのだが、アルマドは今回ばかりはそれを拒否した。
「だめですよ。彼女には会わせられません」
即答されたそれに、エン技師は顔を顰める。
「なんだ、けちだな」
「そうではなくて」
アルマドは窓の外を眺めながら、無感情に口を開く。
「まだ彼女が信用できる人物なのか確信が持てないので――」
独り言のようなそれに、エン技師は目を丸くしてアルマドを見た。
どこか虚しさを孕む、酷い声だ。
「貴方が殺されたら、誰が僕の甲冑の調整をするのです」
そうしてアルマドがエン技師を見た時には、いつも通りの顔に戻っていた。
難儀だな、と声には出さずエン技師は呟く。
信用できない女を傍に置く理由があるのだろうが、それが周囲が想像するような甘酸っぱい理由ではないというのは理解した。
普段から鎧を着込み、顔を隠して過ごしているアルマドが、やっと人間らしくなったかと喜んだ矢先にそれである。
エン技師は深い溜め息を吐くと、残りの採寸に取り掛かった。



「おかえりぃ」
ベッドの上でまさに今起きたばかりのエミヤに出迎えられたアルマドは、兜の奥で苦笑した。
「まだ寝てたの?」
「寝てたよう。君のこのベッド、寝心地良すぎるもの~」
寝起き特有の擦れた声で、間延びした喋り方をするエミヤがおかしい。
しかも一度起き上がったのにまた顔面からシーツに突っ伏し、動かなくなった。
「エミヤ?」
アルマドが名前を呼ぶと、ん~とまだ寝ぼけているような声が返ってくる。
動かないエミヤをそのままに、アルマドは彼女が一日過ごしていた部屋を見渡した。
なにかを漁られた形跡も、仕込まれた形跡もない。鍵付きの棚もあえて鍵を外しておいたが、中に置かれた酒や菓子缶の位置は、今朝アルマドが部屋を出たときと全く変わっていなかった。強いて言えば、暖炉前の絨毯が少しよれている。エミヤが暖炉の前でごろごろしたに違いなかった。
それらのことに思いのほか安堵して、アルマドは暖炉前のソファに腰掛けた。
甲冑の関節がカシャリと音を立て、その音にやっとエミヤが反応する。
「今日は帰りがちょっと早いね」
そう言うエミヤがあまりに嬉しそうに笑うので、アルマドは言葉もなく頷くしかできなかった。
自分が疑われているとは思いもしない笑みだ。彼女にそんな顔を向けられるような資格はないとわかっているのに、アルマドはその笑顔が嬉しかった。
「今日の午後は甲冑の調整だけを入れていたから、早く終われたんだよ」
「甲冑の調整?」
興味をそそられたのか、エミヤがベッドから降りてアルマドの隣に腰かけた。
着ている服も昨日用意したもののままなのを見て、そういえば部屋に戻る前に湯あみの準備は整っていると侍従に言われたことを思い出す。
アルマドはエン技師のことを簡単に説明した。
「へえ、ずっとその人がアルマドの甲冑を作ってるんだ。お城に住んでるの?」
会ってみたいなあと言外に含ませるエミヤに甲冑の奥で笑みを向けながら、アルマドはさりげなくそれを拒否した。
「いや、住まいは街にあるよ。本当は城に召し上げてきちんと警護させていたいんだけど城には上がりたくないそうだ。どちらにせよ、とても優秀な甲冑職人だよ。元は医者でもあったから、甲冑を毎日着込むリスクもわかった上で細部を調整してくれる」
「わかる」
アルマドの言葉に、エミヤがぱっと顔を上げた。
「アルマドの鎧、すごく綺麗だもの。実家にあった甲冑の飾りはもうずいぶんと前に売られちゃったけど、それとは比べ物にならないなあって思ってたの。アルマドの鎧は特別だ」
王様だから当たり前なんだけど、と一際繊細な手の甲の装飾を指で辿りながら、エミヤが笑う。
本来なら、こうして結婚もしていない男女が手を触れ合わせるなどあってはならないことだが、甲冑を着ているということがエミヤの警戒心をだいぶ削いでしまっているらしい。
恐らく、男性の手に触れている、という感覚すらないだろう。
エミヤは感心するように、アルマドの鎧に包まれた指先をいじっている。
「あれ」
アルマドは黙ってエミヤの好きにさせていたが、不意にエミヤは声を上げた。
「これ、昨日とは違う鎧だ」
驚いたように間近にあるアルマドの顔を見上げる。
指先も兜も、胴体の部分も形はすべて同じだが、描かれている文様が昨日のものと違う。
「よく気付いたね。型は同じだけれど、細部の装飾が少し違うものなんだ」
アルマドもエミヤの観察眼に驚きながら言う。
昨日のものは草花やそれに訪れる小鳥をあしらった装飾だったが、今日の鎧は幾何学的なものである。装飾といっても、あまり華美にならないよう抑えさせているし、金などで色を付けることもあるが、アルマドのものはそうではない。
細かな文様のみを変えたものをいくつか持っているので、鎧を変えたところで気付く者は少なかった。
「綺麗だねえ。アルマドは重くて大変だろうけど、すごくかっこいいよ!」
そしてこんな風に、打算なしに褒められることもなかった。
アルマドが鎧を纏うようになったとき、当然、周りからは奇異の目を向けられ、ひそひそと陰口を叩かれた。その時は王位も継いでいなかったので、人々の反応も今より顕著だった。城の人々はアルマドを気が触れたもののように扱い、腹違いの兄達に至っては、面と向かって不気味だと嘲笑してきた。
戦時でもなく、パレードでもなく、こんな鎧を着て一日を過ごすことがおかしいことくらい、始めたアルマドが一番わかっていた。
着なくて済むなら着たくない。けれどこの方法が、自分を守る一番の最善だと幼かったアルマドは信じていた。
剣を向けられても怖くない。得体のしれない人間から飲み物を勧められても、兜を理由に断ることができる。
アルマドにとって他人は、自分を傷つける者だ。笑顔で近づいてきても、どれだけ親切にしてくれても、その腹の中でアルマドを害することを考えているかもしれない。
鎧を着込んで一番よかったのは、そういった人々が遠ざかっていったことだ。
いつまた裏切られるか、毒を仕込まれるか、刃を向けられるかと心配することが、少し減った。
鎧は、アルマドの救いだ。
そして鎧を着込んだことで、失っものもある。



「エミヤ、湯あみの用意ができているそうだよ」
そう言って、アルマドはエミヤを浴室へと追い立てた。
王様より先に入れないよ、と散々王様の部屋で寛いでいながら抵抗するエミヤを無理矢理抱えて、部屋続きとなっている浴室へと放り投げる。
この浴室には入り口が二つあり、一つは使用人が湯あみの用意や浴槽の掃除をするために使うもの、もう一つは主人であるアルマドが出入りするためのものである。
どちらも内と外から鍵はかかるので、この鍵さえきちんと閉めておけば使用人にエミヤを見られることもない。エミヤも下手に使用人に見られてはどうなるかわからないので、勝手にドアを開けて出ていくこともない。
エミヤが視界からいなくなると、アルマドは浴室の扉から離れて、深く溜め息を吐いた。
(失った最たるものが、どうしてまた僕のもとへ戻ってきてしまったんだろう)
幼馴染のエミヤ。幼いころはアルマドの体が小さくてひ弱だったこともあり、お姉ちゃんぶってよく世話を焼いてくれた。溌溂としていて、お転婆で、アルマドを遊びに巻き込んで彼を土や葉っぱで汚しては、大人達によく怒られていた。
アルマドは、エミヤが羨ましかった。
自分にはない明朗さと細かいことを気にしない広い心が、アルマドも欲しかった。
エミヤの隣にいると、人々の視線や仕草一つに神経質になる自分があまりにみっともなく情けなく思えて、とても苦しかった。
けれどエミヤから離れようとは、一度も考えたことはない。
エミヤは、アルマドが憧れる、とても大切にしたい存在だったのだ。
彼女が裏表のない顔で笑いかけてくれて、躊躇なく手を差し出し、一緒に冷えた料理をおいしいおいしいと食べてくれることが、アルマドにとっての宝物だった。
(だからこそ、僕から遠ざけたのに)
やっと孤独に慣れたのだ。
鎧を着て、自ら世界から遠ざかって、自我を消して〝王〟として生きることに、やっと胸が痛まなくなってきたというのに。
(エミヤ、君はどうして、戻ってきてしまったんだろう)
こんな得体のしれない、毒の塊のような場所に。
(あの頃の感傷に浸って、信用しきれないエミヤを傍に置くなんて馬鹿げているのに――)
彼女の暖かく柔らかな言葉を、もう少しだけ聞いていたい。
アルマドの心の中にあるのは、それだけだった。