「うちの薬箱の種も、魔女からもらったんだ」
楽しそうに話すエミヤが、小さな温室のことを薬箱と呼んでいることが、アルマドには愛らしく聞こえる。
こんなふうに歳の近い誰かと、国のことではなく、執務のことではなく、たわいない話をしたのはいつぶりだろうか。
毒や殺意に怯え、鎧を着込み、人々を遠ざけた。
王位に就いてからは仕事をこなし部屋へはただ寝に帰り、だからといって寝ていても安心できず、剣を抱えて浅い睡眠を貪るだけの日々である。
様々な思惑をもつ人間たちの甘言を聞かされ、信用できるかと思えば裏切られ、身の内から腐っていくような感覚を日々感じていた。
王とは孤独だ。そして国のための消耗品である。
アルマドはまさしく、そうして生きてきた。
「植えた種からさ、小さな芽が出るの。それが日に日に大きくなって、花を咲かせて、実をつけるのを見てると、ちょっとだけ安心するんだ。毎日、ちゃんと生きていけてるんだなあって。私は美人でもないしお金もないけど、この植物の成長を見守っていられるくらいには、ささやかだけどちゃんと生活できてる、って」
貧乏人故の展望のなさなんだけど、とエミヤはからからと笑った。
アルマドは、笑えなった。
まさしくアルマドも、そう思うことがあったからだ。
もう随分と前のことだが、信頼していた医師に裏切られ毒を盛られた。生死の境をさ迷い、誰も信頼できないのだと何度目かしれない絶望を突きつけられ、自分で薬を作ることを思い至った。
自分しか立ち入れない温室を造り、そこで育てた薬草でアルマド自ら薬を調合する。
そうすれば、いちいち毒が入っているかいないかと疑わなくて済んだからだ。
薬草を育てるのは、アルマドの性に合っていた。もともと趣味という趣味もなかったが、いつからか植物を育てることが、アルマドの日々の癒しとなっていた。
小さな種が暖かな土を寝床とし、水と太陽を吸収して、芽を出し、大きくなっていく過程は、アルマドを安心させる。
今日も生き延びられた、と思いながら、鎧を着込んだ体で薬草たちの世話をしていく。
温室のカーテンを閉め切っているときには、鎧を脱いで世話をした。
単純に暑くて倒れそうになったのと、それだけ温室は、アルマドにとって安心できる場所だったからだ。
アルマドがいなくてはすぐに枯れてだめになってしまうだろうそれらの存在が、アルマドにとってはなくてはならないものだった。
「アルマドの薬草園は誰がお世話してるの?」
エミヤが屈託なく訊いてきたそれに、毒をばらまかれる心配があるから誰一人として薬草園には関わらせない、とは言えず、アルマドは無難に答えた。
「僕がしてるよ。エミヤと同じで、僕も植物の成長を見るのが好きだから」
答えながら、アルマドの胸の中では、どこからか現れた焦燥が渦を巻いていた。
(彼女は、僕が誰にも見せたくない柔らかいところに、入り込んでくる)


おやすみ、を言ったあと、エミヤは寝付けずにいた。
それも当然である。昼間、泥のように眠り続けていたのだ。眠れるわけがない。
暖炉の火は灯してある。暖炉前に置かれたソファで、アルマドが眠っているからだ。
アルマドは鎧を脱がなかった。
それで眠れるのかと驚いたら、慣れてるから、と簡潔な返事が返ってきた。
(私がいるから、脱いで寛げないのよね)
慣れているからとはいえ、鎧のまま眠るとはどういう感覚なのだろう。
絶対に痛いはずだ。そんな状態で、よい睡眠がとれるはずがない。
エミヤはゆっくりと寝心地のいいベッドから抜け出し、暖炉の前へと向かった。
下手をすれば昨日の夜のように切り捨てられるかもしれないと思ったが、それでも、足はそちらへと動く。
暖炉前の大きなソファで、まるで造り物のような鎧の男が眠っている。
鎧が食い込まないようにだろう、クッションを大量に重ねて、それに凭れるようにしてアルマドは眠っていた。
前に立っても起きる気配がないので、エミヤは更に近づいた。
アルマドの着込む鎧を、まじまじと観察する。
良く磨かれた銀色のそれは、ただの無骨な鎧ではなく、細部に美しい模様が施されている。
王が身に包むに相応しいものだが、こんな時にまでつけるものでは、やはりない。
兜の向こうで、アルマドはどんな顔をして寝ているのだろう。
エミヤは、アルマドが横になるソファの前に座り込んだ。
見えない顔が近くなる。
分厚い絨毯は暖炉に近いため温かい。
エミヤの家では暖炉の火を一晩中灯しておくことは、まずない。
贅沢だ。この床に敷かれた絨毯も、潤沢な薪も、美しい部屋も、すべて。
(それなのにアルマド、貴方はそんなものを着て生活しないといけないの)
それはとても、しんどいことではないだろうか。
いくら贅をこらした生活ができても、一日中鎧を着て動けと言われたら、今の貧乏だが自由なまま気軽に動ける日々のほうがいい。
アサロ侯爵にこの話を持ち掛けられたとき、エミヤの頭の中にあったのは報奨金のことだけではない。
幼いころ疎遠になった幼馴染がどんなふうに成長しているかと、正直とても楽しみだった。恐らく二度と会えないと思っていた彼に、会う機会を得られたのだ。
街で彼の政策を聞くたびに、アルマドは立派な王様になったんだとしみじみと感じ、国の生誕を祝う国立祭のパレードで、遠目で銀鎧の彼を垣間見ては、よしよし、元気にしてるな、と勝手に安心したりした。
(でも君が、こんなに不自由な生活をしてるなんて思わなかったよ、アルマド)
アルマドにとってまさしくこの鎧は命の盾なのだろう。
慣れているからといって、眠るときにまで着込んでいたら疲れもとれないだろう。
鎧を脱がないのは、エミヤがいるからだ。
眠る前、楽しそうにお喋りをしてくれたアルマドだが、信用してくれたわけではないのだろう。
エミヤはそっと、アルマドの兜に触れた。
顔を見れるような造りにはなっていない。
「よく眠れますように」
馬鹿みたいだと思いながら、妹たちにしていたおまじないを小声でした。
兜越しに撫でた彼の頭は、冷たくて固かった。